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若者

二〇二〇年、秋の終わり。午後八時が来るのを、私はじっと待っている。一人暮らしの学生アパートのボロ階段を降りると、マスクの中で息があたたかくこもるのがわかった。夜道を歩いて七分ばかり、こうこうと照るスーパーマーケットの明かりを目指す。自動ドアが開くなり、私は早足で歩く。


閉店まであと一時間の店内で、私はお惣菜コーナーを一直線に目指した。スーパー店員の白いユニフォームを着たおじさんが、大きな背をかがめて、お惣菜の二割引きのシールのさらに上に半額シールを貼り付けていた。

おじさんの後ろから覗き込み、もうおかずがほとんどなくなり、ガラガラになっている陳列台から、半額になったメンチカツのトレイをひとつかっさらった。会計は130円。これをおかずに、あとは実家から送られた白米を炊いて晩ご飯をするつもりだ。こんな生活を、もう二ヶ月も続けている。


新型感染症がおさまらない中、信州の実家を離れ関東圏の学生街で一人暮らしを送っている私の経済状況は、正直にいうと、かなりギリギリだ。困窮、と言い換えて差し支えない。この春が明けたら、大学二年生になり就活のことも考えなくてはならなくなる。三年生になったら企業訪問するときの電車の交通費まで心配しなければならない状況かもしれない。


今年の初夏にはもうさなかとなっていた感染症だが、なんとか入学当初に見つけて働いていたカフェのバイトは、シフトが激減したあげく、最近つぶれてしまった。いまは両親からの仕送りだけで、なんとか食いつないでいるが、おそろしいことに一向に次のバイトが決まらない。どこのお店も、学生バイトを雇う余裕がまったくないらしく、求人が出ないし、出てもたくさんの学生が殺到するから、私のようにとろくてもたもたしている学生は、職にあぶれてしまうのだ。


学費と家賃がギリギリだし、両親からの援助も見込めそうになくてもうほんと厳しい、と同じく一人暮らしをしている高校時代のクラスメイトの真波と瑞貴に、打ち明けたことがある。


真波は私の話を聞くなり「私みたくパパ活する?」と言ってのけた。


真波も金銭面で厳しいのは同じだけど、それに加えて彼女には「推し」の芸能人がいて、追っかけ活動をするためにも、お金が要るという。


「一回そうやって一万とか二万とかお金もらうと、時給1000円で働くの、バカらしくなるよ」


ZOOMの画面越しに真波はそう言って、けらけら笑った。同じ画面に映る、もう一人の友人、瑞貴も私たちに打ち明けた。


「こないだ夜間のコンビニバイト受かったよ。飲食店は相当バイト募集減ったけど、コンビニはまだ夜の時間に募集かけてた。時給も昼よりいいし。あずさも、夜の仕事すればいいじゃん。じゃないと、休学とか退学とかするはめにならない? せっかく大学進学してるのに、新卒カード切れなくなったら、相当もったいないじゃんね。私、オンライン授業は録画して、あと1つか2つかけもちできるバイト探すつもり」


たしかに瑞貴の言う通りだ。無事社会人となるため、大卒の資格を得るために学生生活を送っているのに、学費や家賃が払えなくてそれをふいにしてしまっては、せっかくここまで切り詰めて頑張っている意味がない。


お金を得る方法を選んでいる場合じゃない。そのことは頭ではよく理解できているけれど、危険なことも多いイメージの都会で、リスクの大きい行動に出ることを、どうしてもためらってしまう。


売春や深夜帯の仕事に飛び込んでいく学生仲間の話をよく聞くようになり、明日は私もそうなっているかもしれない、とぼうっとしながら思う。


メンチカツのトレイひとつをショッピングバッグに入れて、狭い狭いウサギ小屋ほどのワンルームに帰宅する。昨日も、今日も、明日も、オンライン授業で、正直もう慣れてはいるけれど、人と話さなさ過ぎて鬱になりそうだ。


二か月前にバイト先がつぶれてから、もうどのくらい一人きりの時間をこの部屋で過ごしているんだろう。真波と瑞貴とのZOOM会は、話しているあいだははしゃいで楽しかったけれど、あとからどっとさみしさと言いようのない疲れが襲ってきた。


つぶれてしまったカフェのバイトで、ときどき一緒になる別の大学の男子学生、木勢さんのことを、私はちょっとだけいいな、と思っていた。だけどマスクの下の表情を、口元を、一度も見ることができなかった。雰囲気だけあこがれていたけど、急な閉店だったので連絡先すら交換できなかった。


感染症禍のもとで、初めて知り合った異性と、いちゃついたりすることに対しては、とっくにリアリティが持てなくなっていた。「新しい生活様式」の不文律は私にとっては重かったが、一方で初対面の男性と時には体の関係まで持つという真波は、感染症よりお金がなくなることがマジで恐怖と言っていて、私は彼女の蛮勇をどこか怖れつつもまぶしく思った。


翌朝、のそのそと起き出して私は寝巻きを脱ぐと、珍しいことに私服に着替えた。昨日、寝る前に大学ポータルサイトのお知らせを見たのだ。

『大学からのお知らせ:明日、講堂にて十一時より感染症下で困窮する学生向けに、食料品、生活用品、生理用品などの無料配布を行います。先着順となりますので、必要な方は並んでください』

食料品や生理用品の配布は、正直待ってました、と嬉しさに飛び上がるほどだった。実家にいた高校生のときは想像もできなかったけど、今の私にとっては学食のワンコインのランチすら高いといえる生活状況なので、無料配布は本当に助かる。


電車に乗ってキャンパスを目指した。通勤ラッシュはうまく外せたようで、それでも乗車中にいつもより近い距離で人の気配があると、身を硬くしてしまう。


冬間近のキャンパスで、コートの背中を縮めながら講堂へ向かって歩くと、遠目からでも人の列が見えた。みんな、無料配布のお知らせを見て、われ先にとやってきたのだろう。


私の前に並んでいたのはざっと見て50名ほどで、みんな密にならないように少しだけ等間隔を意識してきちんと並んでいた。友人同士で来ていても、ぺちゃくちゃしゃべったりする人は少なくて、みんなどこか少し緊張した面持ちで、列が動くのを待っていた。


講堂ではカップ麺二つと生理ナプキンを手に入れることができた。カップ麺は貴重な食料となるし、来月の生理のときの出費をとりあえず心配しなくてよくなったことで、ほっとして肩の力が抜けた。


そそくさと帰ろうとしたときに「あの」と呼び止められた。視線を上げると、男子学生らしき人が二人いて、そのうち一人が口を開いた。


「僕たち、大学の無料配布イベントの学生スタッフです。今日の無料配布について、動画でインタビューをして、あとで大学サイトのアカウントから、動画配信サイトに流したいんですけど、インタビュー受けていただけますか?」


私は小さな声で「はい」と答えた。感染症流行の昨今における大学生の窮状、というような内容で動画になるのだろう。


インタビューは簡単なもので、なぜこの無料配布に来たのかということを主に問われ「経済的に困っていたから助かりました」というお決まりっぽい言葉を言わされて、すぐに撮影は終わった。マスクをしていたので、それほど顔出しには抵抗がなかった。


「――ありがとうございます。インタビューを受けてくれた、お礼。食べてください」


私にいろいろ質問を向けていた学生のほうが、私にビスコの個包装の袋をひとつ渡してくれたので、思わず和んでしまった。それでつい、口をすべらせた。


「動画、ちゃんと撮れて編集できるなんて、いいですね。就活のとき、役立つかも」


スマホのカメラを構えていたほうの男性が「はは」と破顔した。褒められるなんて思ってもみなかったみたいだった。


「俺らって、この感染症のせいでガクチカ、なくなりそうだし。そう思いません?」


「そうですよね」


ガクチカ、というのはいわゆる就活のときに聞かれる「学生時代に力を入れたこと」の略称だ。入学当初からずっと、息をひそめるようにおとなしく大学生活を送ってきた私たちには、にぎやかなサークル活動の経験がない。大勢での飲み会もできないし、私などは異性との接触もなかった。何から恨んだらいいのかわからないけれど、この理不尽にどうやって耐えればいいのかとときどき思ってしまう。


「動画撮るのも、編集するのも、意外と簡単にできますし、これからは絶対武器になりますよ。ていうか、ね、あれ見せてあげたら」


スマホカメラをかまえたほうの学生が、インタビューしていた学生を促した。


「ん? ああ、あれね」


彼はスマホ画面をスクロールすると、私に「いま、大学のほうでこういう学生スタッフの募集してます。ちょっと大学からバイト代も出ますし、もしよければ」とディスプレイを見せてくる。


スマホを受け取り、画面を見させてもらうと『東花大学のYouTubeチャンネルを、一緒に運営しませんか。大学公認の学生映像サークルにて、補助スタッフ募集』という案内だった。


「僕らのサークルが、大学と共同でやってるんですけど、今人手がもう少し欲しい感じで。よかったら、僕、動画の編集とかちょっとなら教えられますし」


「私、年が明けたら二回生になりますけどこの時期から入ってもいいんですか?」


「ぜんぜん。むしろ就活前に、こういう活動はどんどん利用しちゃってください」


連絡先を交換して、今度また会うことになった。少し離れてから後ろを振り返ると、彼らはまたインタビューを終えたあとの学生に「サークル入りませんか」と声をかけていたので、私だけを狙ったナンパとは違うみたいでほっとした。


帰宅してお湯を沸かし、カップ麺をすすった。寒いから食べていると身体があたたまる。少しお行儀が悪いけど食べながらパソコンを立ち上げて、YouTubeのサイトを開いた。


私たちの世代はデジタルネイティブ――つまり、生まれたときからインターネット環境があって、その使用に抵抗がほとんどないと言われている。私の知っている限りでも動画アカウントの運営や投稿を、呼吸をするように行っている学生は多かった。


あらゆるSNSを駆使して人とつながり、情報を浴びて、自分自身をアピールしつづける日々。YouTubeはまだ自分のチャンネルを持ってはいなかったけど、興味がないこともなかったし、InstagramやTwitterのアカウントは持っているし活用もしている。


感染症が流行り出してからは、外出することが激減して家にこもりがちになったので、Instagramで好きな俳優のアカウントをフォローしてコメントを送ったり、Twitterのタイムラインをだらだら追ったりすることが増えた。SNSのなかではいつも誰かが面白いことを言ったり、何か騒ぎが起きているから飽きることがない。気付けば一日スマホやパソコンを見て過ごすことも多かった。


一方で、SNS上で何か作品を作って表現できるのかもと思えたことは始めてだった。けれどそのきっかけを、私自身待っていたようにも思え、気持ちが高鳴る。


私は東花大学のYouTubeアカウントに飛んで、並んでいる動画をいくつか見てみた。最初の投稿である学内のダンスサークルを紹介・撮影した動画は、投稿日が2017年なので、踊っている子たちもインタビューしている側の学生もマスクをしていない。


この頃に学生生活を送りたかったな、もっときらきらしたやつを。考えてもしかたないことを想いながら、動画を視聴し続ける。


動画の視聴自体は、私自身日常的にステイホームの暇つぶしとしてしていることだった。YouTuberの体当たり企画こそあまり見ないが、そのほかは音楽、料理、メイク動画などひととおり視聴している。正直、自分で撮ってみることにもがぜん興味が出てきた。

私に声をかけてきた彼らの話によると、現在部室といえる部屋はなく、すべてZOOMとSlackを使用したオンライン会議で打ち合わせし、最小限の人数だけ撮影のために集まり、手指消毒など感染症対策に気を配っては動画制作をしているという。


食べ終えたカップ麺容器を、水道水でゆすいだあとゴミ箱へ放り込むと、新たに何か始まりそうな兆しを感じ取ったことに気づいて、心がふっくらと元気を取り戻すのがわかった。


「――でね、僕としては従来の学生インタビューや授業内容紹介、教員からのメッセージにとどまらない、新しい企画を出したいと思ってて。正直いまは、再生数の伸びもいまいちだし。誰か、いいアイデアありますか?」


ZOOM画面の向こうで、部長の沢口尚志さんが語っている。はきはきと明瞭な口調で話すから、ずいぶん大人びて見えるが、彼は私のひとつ上でいまは二回生であり、来年三回生になる。私と沢口さんを抜かして、あと四人、計六人のサークルメンバーがZOOM会議に出席していた。


「えー、なんだろ。たとえばこないだ学生街にある大衆食堂に行ったら、店主のおっちゃんが『感染症禍で学生は腹いっぱい食えてないだろ。だからしばらく、学生証を見せた子にだけ、ごはんと味噌汁を何杯でも無料のサービス始めた』とか言ってて。そういう学生街からの学生支援の特集とかするといいかもですね」


先日私にインタビューマイクを向けたサークルメンバーの一人、島永くんが発言した。


「いいね。ほかには?」


沢口さんはリアクションすると、また次の意見を求める。今度は私の同学年の一回生、宮野さんという女子学生が「はい」と画面向こうで手を上げた。


「学生一人暮らしのライフハックを見たいですね。キャベツをひと玉買ったら、限られた材料とともに、こう使い切れ、だとか。大学図書館で借りられる本のおすすめだとか。私、読書が大好きだけど、いま正直、仕送りとバイト代をあわせても、生活をギリギリで回すしかできなくて。本は買えず、図書館で借りるしかできないです。でもおすすめがあれば知りたい」


みんながしっかりと意見を言っているので、私も何かアイデアを出せないか、頭をひねる。


「新メンバーの多田野さんは、何かない?」


沢口さんが私を指したので、さっきから浮かんでいた案を話してみる。


「私、いま一番気になってるのが就活で。――だから、大学のOBOGで社会人をされている方に、いま就いてらっしゃるお仕事のインタビューとかできないかなって。私たち、なんだかんだ言っても、一番の不安ごとが『うまく就活できるか』っていうことになってくると思うので」


画面の向こうで、沢口さんが身を乗り出すのがわかった。


「それ、いいね。多田野さんいいじゃない。企画書としてまとめられる? わかりづらいかな? 島永、多田野さんに企画書のテンプレ、あとで回してあげて」


思いがけず、その日の会議で私の案が採用となり、私はドキドキし始めた。その日のうちに、島永くんからメールで「企画書テンプレート」が送られてきて、私はパソコンにダウンロードして記入を始めた。なにかが、変わる予感がする。ずっと低空飛行でモノトーンだった毎日に、少しずつ色が戻っていくような。


企画書を送って数日後、沢口さんからメールが届き、大学側に了承してもらえたので、さっそく来週からインタビュー相手の選定と撮影の際の質問案を出す段階に進みますと書いてあった。Slackをこまめに確認せねば、と思いながら私は起き抜けの顔を洗って着替え始める。今日は、宮野さんから会議のときに教えてもらったおすすめ動画もレポート作成の合間に見たいと思いながら。


『東花大学OBOGってどんな仕事やってんの?』と題された企画の第一回が動き始めた。私が質問案を出す係に抜擢され、インタビュアーは沢口さん、撮影は島永くん、編集は宮野さんになった。いずれ私も編集をやってみたいと思いながら、私は質問をまとめる。

もちろん感染症禍だから、実際にOBOGと会うことはせず、ZOOMでインタビューを行うことになった。第一回のインタビュイー、つまり質問を受けるゲストとしては、沢口さんの強力なプッシュもあって、いま飛ぶ鳥を落とす勢いのベンチャー企業経営者である梶原晋佑氏に決まった。もちろん彼は、東花大学のOBでもある。


「会社に所属している人のほうが学生視聴者にとっては身近じゃないんですか?」と沢口さんに聞いてみたら、沢口さんはふふんと笑った。


「でも、これからの時代は終身雇用で安定という時代じゃあもうないし、ご自身で起業して社会を泳ぎ渡っていく生き方を、僕は梶原社長に聞いてみたいな。僕自身、起業には興味があるし。正直、上司ガチャで外れくじを引いてパワハラされて即行退職とかになるより、最初から自分で力試しをする生き方は、僕らをはじめとした学生たちに希望も与えるんじゃないかな。梶原さん、まだ二十八歳なのに港区のタワマン住んでるらしいよ。すごくね?」


タワマン、の言葉を聞き私は口をつぐんだ。あまりに、自分のいる今の世界から遠い人の話を聞いても、実際にどう自分に役立てていけばいいかわからない。それでも私は質問案を三十は考え、サークルメンバーの意見を聞きながら十個に絞った。

当日のインタビューは、沢口さんと梶原社長の二人でZOOM録画して行うことになり、私の仕事はいったん終わった。宮野さんにテロップの出し方など編集のやりかたも教えてもらうことになるが、それはまたあとだ。


男女交えてわきあいあいとしたサークルの雰囲気は私を和ませ、以前よりも日常で笑顔になれることが増えてきている気がする。


良かったなあ、と思いながら、提出レポートのための調べ事をしたいと思い、私はキャンパス内の大学図書館に行くことにした。


しんと静まった館内で、書架を回ったり司書さんから書庫の本を出してもらったりして、私は論文のテーマが書かれている専門書を集めた。授業はぜんぶオンラインで、どれだけ自分が学びたい研究テーマについて深められているかは謎でしかなく、でもため息をついていても始まらない。


閲覧席でひとしきり本の中身を確認すると、貸出カウンターに持って行った。返却期限のレシートは、大切に財布にしまった。


時計を確認すると十四時半を回ったところだった。沢口さんと梶原社長のZOOMインタビュー企画は、無事に終わっただろうか。そう思って図書館を出たところで、ばったり島永くんに出くわした。


「おー、多田野さん! 大学、来てたんすね」
「うん、レポートに使う本を選びに来てた」
「わ、えらい。真面目ですねえ」


キャンパス内でたわいない会話ができる知り合いができたなんて、久しぶりすぎて嬉しかった。私は島永くんに切り出した。


「ね、インタビュー無事に終わったかな? 私、動画になってみんなに見てもらえるのが楽しみすぎて」


「多田野さんの初企画ですもんね。質問もどれもよかったし、再生数もいつも以上に伸びるんじゃないかと、俺は踏んでいます。ね、せっかくここで会えましたし、もし食事まだなら、こないだ俺が言ってたおかわり無料のメシ屋行きません? がっつり食べられるし、教えたかったんです」


「え、ほんと? じゃあ行こうかな」


誰かと一緒に食事は、ずっと控えていたことだったが、島永くんがその店の感染対策はちゃんとしていると熱弁した。かならず消毒コーナーはあるし、プラスチックの透明アクリル板も、感染予防のために置いてあるという。母から仕送りが入ったばかりで、ほんの少しなら贅沢できそうな余裕もあった。


私は島永くんのあとについて、その大衆食堂を目指すことにした。学生街の有名店だと聞いたことはあっても、足を踏み入れたことはなかったのでわくわくした。


のれんをくぐり、連れ立って狭い店内に足を踏み入れる。入り口に置いてある消毒ジェルで手指を殺菌して、鼻の下に落ちそうになっていたマスクを顔中心まで上げ直した。


島永くんは生姜焼き定食、私は親子丼を頼んだ。年配のおかみさんが、水を持ってきてくれて「いらっしゃいませ」と笑いかけてくれる。


カウンターの奥では、無骨なご主人が、白い厨房服に身を包んで一心に調理をしていた。隣で手伝っているのは、島永君の話によると息子さんだという。


「家族でがんばってるお店なんすよ。ずっとこの学生街で親子三代続いてる店で。学生のためにおかわり無料なんて、泣いちゃいますよね」


運ばれてきた親子丼は、出汁のからんだ卵がふわっふわで美味しかった。島永くんはもちろん、二回おかわりしてごはんを腹につめこんでいた。


島永くんは、黙々と食べて、その一方喋るときはきちんとマスクを付け直して話してくれた。そこにとても好感が持てた。何度も何度も「多田野さんのあの企画、きっといい反応返ってくるっすよ、ゲストがゲストだからバズっちゃうかも」と私の企画を持ち上げてくれたので、素直に「島永くんって優しいなあ」と思えた。


数日かけて、宮野さんに編集の仕方を習った。宮野さんのおうちにお邪魔するのは気がひけるから、オンラインで画面を共有して私が宮野さんの作業を見学するという方法を取った。テロップやタイトルの入れ方、BGMの挿入方法など、宮野さんは手慣れていて、私はすごく勉強になった。


動画の完成品を沢口さん、そして大学のほうにも確認してもらい、さあ、明日やっと投稿するぞ、そうみんなで打ち合わせた矢先のことだった。


朝、自宅のベッドでまだ寝ていたときに、オンライン通話アプリが鳴り始めた。なにごとだ、実家の家族になにかあったのか、と飛び起きて確認したら、沢口さんからだった。


「朝早くに起こしてごめん。実は――梶原社長が、ネットで炎上した」
「えっ」


「どうも、部下を恫喝して侮辱する発言をしたみたいで、部下が録ってた録音音源も出回って、ネットを中心にひどく叩かれ始めてる。だから、いま東花大学のアカウントから、彼のインタビューを流すのはまずい。だから、せっかくの多田野さんの企画だけど、第一回はお蔵入りになる」

「そんな」


絶句することしかできなかった。宮野さんと懸命に編集したインタビュー動画のなかで、梶原社長は、私たちに向けて終始真摯に「夢を見ることの大切さ」について語ってくれていた。何者でもない私たちの、つたない質問に、ひとつひとつ答えてくれていた。あの、私たちが力を併せて作った作品が、もう陽の目を見ることがないなんて。


ショックのあまり、言葉が出ず、その代わりぼろぼろ涙があふれてきた。電話口で沢口さんが「びっくりさせてごめん」と謝り続けている。


「せめて、動画が公開される前でよかった。公開したあとだったら、大学のほうにも飛び火して、俺や多田野さんまで責任を問われる形になったかも。だから、多田野さんを守れてよかった」


私は泣きながらうなずいた。でも、言いようのない息苦しさも感じた。暴言はもちろん糾弾されるべきものだ。けれど、私たちに理想を語っていた梶原社長の言葉は、たしかに私やサークルメンバーの心を動かすものだった。こうなった以上誰にも本音は言えないけど、私のはじめての「作品」を、多くの学生に見てほしかった。


「祇園精舎の鐘の声、ですねえ。栄枯盛衰ってまさにこれ」


宮野さんが私に何事かをつぶやき、私は「え?」と聞き返した。


「平家物語の冒頭です。栄えるものはみんな滅びる」


宮野さんが教えてくれたので、私は感心した。


「さすが国文専攻だね、言うことが違う」


私たち、東花大学学生映像サークルは、あの炎上事件のほとぼりが冷めたあと、大学構内の小さい教室を部員で借りた。島永くんがカーテンをひいて室内を暗くし、宮野さんが紙コップにペットボトルのお茶を人数分注ぐ。

私たちは、これからお蔵入りになった『東花大学OBOGってどんな仕事やってんの?』の第一回、梶原社長へのインタビュー動画を、プロジェクターに映して上映会をする。当然反省会も兼ねている。


部屋には内鍵をかけ、部員以外は誰も入ってこれないようにした。炎上事件からひと月経ったとはいえ、世間は梶原社長の不始末を簡単に忘れはしないだろう。ことあるごとに、ほじくり返してまた燃やすはずだ。


教室の全面にスクリーンを下ろすと、そこにはプロジェクターとつなげた沢口さんのパソコンのデスクトップが青く明るく浮かび上がった。


「えー、これから、みなさんもご存知の通りですが、もう見てもらうことは難しくなった、『東花大学OBOGってどんな仕事やってんの?』の第一回を流します。視聴のあと、なんでもご意見ください」


動画がはじまると、私は食い入るようにフルスクリーンに映し出される沢口さんと梶原社長のやりとりを見つめた。


私の考えた質問がテロップとしてひとつひとつ流れるたび、くるしいような苦いような気持ちがせりあがってくる。我慢に我慢を重ねているこの生活で感じている窮屈さを、いっそ大胆にぶち壊せたらと、私らしくもない思いが押し寄せる。そうしたら、さぞすっきりするだろうとも。


発言ひとつ、行動ひとつ間違えたら、築き上げたものを根こそぎ失う社会に私たちは生きている。大人は若者なら間違えろ、と言い、また一方でよく考えて正しい判断をしろ、と言う。誰も経験したことのないこの未曾有の感染症の下、私たちはどうなっていくのだろう。


動画の上映が終わり、部屋の電気が点いたあとも、私は身じろぎできないままでいた。終わったよ、と声をかけられても椅子から動けないままで、もう何も映らないスクリーンをこめかみが痛むほど見据えていた。

この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』2022年5月号に寄稿されています。今月は連載・連作2作品と、ゲスト作家による短編作品の小説3作品を中心に、毎週さまざまなコンテンツを投稿していきます。投稿スケジュールの確認と、公開済み作品は、以下のページからごらんください。

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