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【短編】心の内を知りたいの

職場の女子トイレの中で、私はスマートフォンを取り出し画面をスクロールする。一日前に渋井くんに送った「今度いつ会える?」というLINEに既読マークがまだつかないことを確認すると、絶望的な気分で大きくため息をついた。

トイレの外の洗面所から、同僚の若手社員二人の声が、耳をすまさずとも聞こえてくる。

 「あー、今月お金なーい。なんでこんなお給料少ないんだろうっていつも思わない?」
 「思う、思う。ほしいもの全然買えないよ。コンビニの新作スイーツ買いたいし、新色ネイルもほしいし、美味しいランチも食べたいし、すぐになくなっちゃう」

 私は水を流し、トイレから何喰わぬ顔をして出た。洗面所の前を、同僚の子一人が空けてくれながら、私に話しかけてきた。 

「うちらのさっきの話、聞こえた? でも三辻さんならちゃんと貯金してそうだよねー、いっつもお弁当だし、髪も染めてないし」
 その後も一人の女子が引き取る。
「お洋服だって、新しいの買ってないみたいだし?」

 きゃははは、と同僚二人のかん高い笑い声が響いたのを無視して、私は手をさっと洗い、トイレを出た。この程度の嫌味なら、どこの職場でだって言われてきた。

私は地味な服装、毎日の弁当持参、会社の飲み会にも参加しないことから、ひどく守銭奴だと思われがちだ。しかし、私にお金があるかといえば、ひくほどない。ひくほどないのだ。

毎月のお給料から、いつもある一定額が夢のように消えてしまう。毎月のカード請求額に、いつも軽い悲鳴がもれる。生活はいつもぎりぎりだった。

私の財布からどうやってお金が消えるのか――それは、私が占いにはまる、占いジプシーにほかならないからだった。

 家に帰り、呼吸を整えると、私はパソコンの画面を開いた。「占い花館」というホームページをすぐに開く。ずらりと並ぶ占い師の先生の中から「今待機中」のランプがついている先生たちを、じっくりと眺める。

 あ……ルルナ先生っていうこの新しい占い師さん、写真もふんわり優しそうだし、タロットとホロスコープの使い手みたいだし、占い歴は14年のベテランだし、いいかも。 

ホームページの説明にしたがって、電話をかけた。いつもこの瞬間は、お金がすっとぶ罪悪感と、新しい刺激への期待で、脳がしびれる。 

「はーい、占い花館のルルナです。まず、お名前お聞かせ願えますか」 
「三辻由香といいます」
「ミツジ・ユカさんですね。本日は初めての鑑定ですが、どうされましたか?」 


「あの……二か月付き合っている彼氏がいるんですが、送ったメールに、返事がなかなか来ないんです」
「来ないって、どのくらい?」
「一日くらい、ですかね」
「うーん、では、彼の気持ちをタロットで見てみますから、しばらくお待ちください」 

そうして、カシャカシャと電話口の向こうでタロットをかきまぜる音がする。速くしてくれ、と私は祈るように思う。このルルナ先生の鑑定は、電話1分につき220円かかる。20分も喋れば、4000円以上がすっ飛んでしまう。

バカげているとわかっている。わかっているが、私は占い師に、自分の今の恋愛事情を相談にのってもらうことをやめられないのだ。

 「……えーと、大アルカナの運命の輪、カップの1、ワンドのペイジが出ています。今、運命が転がりはじめる重要な局面にきていますが、大丈夫、彼はあなたに愛情を持っています。今ちょっと忙しすぎるだけですね」 

ルルナ先生の明るい声での断定に、ちょっと気分が楽になった。そうなんだよね、渋井くんはちゃんと私のことが好きなはず。 

「そういえば、ここのところ、クライアントからの納期が立て込むって言ってたような」 

「きっと大丈夫ですよ。タロットと私の霊感で見た限り、ほかの女性の影はありません。安心して、疲れている彼に優しくしてあげて」 

いろいろ不安ごとを話して、電話を切ると、会計は6160円になっていた。28分も喋ってしまっていたらしい。やばいやばい、と思うのに、私は5日もしないうちに、きっとまた電話占いにかけることになる。

占い依存症という病名を、何かで読んだことがあって、自分はそうはならないはず、と強く思っていても、実際今の現状をかえりみると、もう片足はつっこんでいるのかもしれない。そう思うと、怖かった。

 渋井くんからのLINEの返事が来たのは、夜中の二時ごろだった。スマートフォンの振動で目が覚めた私は、ベッドの上に起き上がって、画面を確認する。 

「由香、悪い、遅くなって。大事な話があるから、今度の日曜日、外で会おう」 

ひどく嫌な予感がした。ふられる、という確信があった。でも今日のルルナ先生の鑑定では、渋井くんは自分に愛情を持っているはずだった。不安が急につのり、部屋の電気をつけた。パソコンを開く。

「占い花館」は24時間、誰かしらの先生が待機している。夜中に急に電話鑑定を受けたくなっても、対応してくれるのだ。昼間よりは少ない、待機の先生の中から、ミヅホ先生を選んだ。占術は霊感・霊視と、数秘術と書いてあった。ミヅホ先生が、電話口に出た。 

「こんばんは、占い花館の、ミヅホです。本日はどうされましたか?」
「あのっ、彼氏に、ふられるかもしれなくて。時期的にまだ結婚の話じゃないと思うし、どう考えても、別れ話だと思うんです」 

私の訴えを聞いて、いくつかアドバイスをくれたミヅホ先生だったが、私の落ち着きなさがおさまらないので、こんなことを言ってきた。 

「落ち着いて。では、御祈祷をいたしましょうか?」 
「はい、お願い、します」

 リィンと高い澄んだ音が電話の奥で鳴り響いて、何やらぶつぶつとミヅホ先生が唱えている小さな声が聞こえてきた。祈祷が終わる頃には、少し気持ちが落ち着いた。しかし今度は、7700円もかかってしまった。胸が痛い。

 渋井くんとの約束が怖いという気持ちと、いっぱいお金を使ってしまった罪悪感で、私は寝苦しい、睡眠不足の朝を迎えた。はっきりとわかることがあった。私は、ひどく、依存症になっている。

いつでものってほしいときに、誰かに相談にのってもらえるということが、これほどまでに、快感をもたらすものと知らなかった。お金はどんどん出ていくけど、このままでは破産一直線だった。

 「もう、占いやめる。やめたい」

 ふらふらの身体で、声に出して言った。なぜ依存してしまうのか。とにかく、自分で自分を救わなければいけない。そう思って、私は初めて、専門医のドアを叩くことにした。 

 「――完全に、占い依存症になっていますね」

診察室で、白衣を着た女医の先生は私にそう言い放った。カルテに今までの経緯を書きつけながら、先生は言葉を重ねる。 

「占いに頼りすぎると、自分でどんどん物事を判断できなくなります。ちょっとしたことでも、これが自分にとってプラスかマイナスか、他人に判断をまかせてしまうことになる。自分の意思が上手く使えなくなります。エンタメとして、たまに利用するのならいいけれど、これではあなたが壊れてしまいますね」 

 私はしおれてうなずいた。本当にその通りだった。

 一年かけて、私は少しずつ自分を立て直した。占いに使ってしまわないように、クレジットカードを手放した。パソコンがインターネット接続してあると、手を出しそうになってしまうため、インターネット接続はスマホだけにして、少しでも使わないようにした。誰かに頼りたくなったときは、実家の母や友達におそるおそる電話をして、聞いてもらうことにした。

 ――渋井くんが私に「大事な話がある」といったのは、彼が昇進するという話だった。占い依存症を克服のために、一年が経つ間、渋井くんと私は、ちゃんと付き合い続けた。 

 「――彼は私をちゃんと好きですか?」 

誰かにそう聞きたくなることは今でもあるけれど、私はその質問をどこかに飛ばす前に、こう自分に訊くことにしている。

 「その答え、誰かに聞かなくても、自分が決めていいから。自分の信じたものが、答えだから」 

そして、もうすぐ、私は花嫁となる。少しだけだけど、貯金もできている。 

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