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夢見る大人。

子どもの頃の夢というのは、点だった。
きらきらと光る到達点は瞬いたり、移動したりしながら、そのときどきの標石でいてくれた。
ところが、大人になり近づいてみると、夢とはいかにぼんやりした広範なエリアだったのかと思い知らされる。

到達したと思っていたら、じつはそこからがスタートで。
夢の中に入ると、端から端まで、まるで霞がかかったような世界が広がっていて。
外から眺めていた壮大な物語は、一気にただのレシートのように輝きを失ってしまうこともある。

さて、今から何を夢としようか考えてみても、大人というのは不便なもので。
老い先の残り時間や生々しい生活圏が真っ先に浮かんでしまう程度には賢くなってしまった。
夢見るような話は、現れたところで、冷ややかにこちらを笑っているような気がしてくる。

それでも、すがるように、かじりつくように、何かを求めていたいとは思う。
思わぬことろから現れた見知らぬ事柄も、ひょいと会釈をして受け入れられる、そんなふうでいたいと思う。

偶然耳に入った素敵な歌や、たまたま目に留めてくれた誰かや、ずっとあるけれどあらためて大切にできていなかったものも。
どんな些細なことも一旦、「それ、結構大切かもしれないですよ」と思ってみると、案外、面白い次に進めるかもしれない。




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