コーヒー喫茶で聴くWayne ShorterのNight Dreamer

1.偶然のWayne Shorter

家から歩いて15分程度の場所にコーヒー喫茶がある。
メインはコーヒー豆を売っているのだが、コーヒーも飲める。
コーヒーゼリーと苦いコーヒーを飲みながら、ふと音楽が有線ではなくてWayne ShorterのNight Dreamerが掛かっていることに気づいた。
#WayneShorter

割に最近、聴いた記憶があるのだけど、こうやって自分の意図しないところでWayne Shorterを、ブルーノートの音楽を聴くのはいいな、と思う。

そして、そこで、たとえば昔のことであるとか、自分がずっと昔にジャズをやっていたとか、ベースを演奏していたとか、そんなことを思い出すというか、頭をよぎるというか、そういった事柄なのか、歴史なのかを何かの思想体系にまとめようと思ったのだけど、それをするにはコーヒーがなくなるのも、場所を立ち去るのも早過ぎた。

人は本当は何かに不平不満を言っている暇はないし、働いている暇もないのかもしれない。それはナンセンスな言い方にも思えるが、何と言うか、今、現在の自分の在り方のようなものというか、今まで生きてきた中でのセンスのようなものを集約するような、そんな思考に時間を充てる余裕というか、集中力に欠けているのかな、と思う。
そして、そんなスペースを見つけるのに苦労しているというか、自分が1人になれる、本当に1人になれる、そんな時間を見失っているのかな、なんて思ったりする。


2.Wayne ShorterよりJohn Coltraneの方が芸術であり文化であるのか

別にこう書いて誰かとその正否について論じたい訳ではない。
ただ、ここまで生きてきて、そして、たとえばクラブ業界に10年くらいいて、さらに、Four TetやThom YorkeやAphex Twinあたりに囲まれたような音楽生活をしていて、ふとそんなことを思うのだ。
#トムヨーク
#FourTet
#エイフェックスツイン

さらにMiles Davisを聴くよりAlice ColtraneやPharoah Sandersを聴くことの方が芸術でありアカデミックであるように思える。
「通」とでも言えば良いのだろうか、もしくは、その2つを聴く方がElectronicやDroneやAmbientとか現代の音楽に精通しているような印象を受ける。

自分はMiles Davisをよく聴いてたし、John Coltraneの世界よりはWayne Shorterの作曲能力を好んでいた。
だが、それは、もしかすると芸術を愛している量が少なめ、ということになるのかもしれない。
#コルトレーン

これはブランド、そうやってそのクラブ界隈で多くの人に「価値がある」とか「アカデミックだ」とか信じ込ませた、そんなところなのかもしれない。

Miles DavisとJohn Coltraneの音楽は、同じ質の音楽と言える部分もあるにも関わらず、John Coltraneの方が芸術的に評価されている印象を受ける。

だから、Wayne Shorterの書いたPinocchioのような名曲より、John ColtraneのLove Supremeのような名演の方が芸術なのかもしれない。

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