見出し画像

この夏、アートセラピー①|吉本ばななさんのnote、からの『イヤシノウタ』

◇2020年8月8日の日記より


二十代の後半。
お勤めはなんだか泥沼で、プライベートはもっぱらデパートで買い物しかできないくらい疲れ果てていた頃(じきにウツ発覚)、どういうきっかけだったか、『虹』という小説を読んだのが、初・ばななさん経験だったので、世間の熱狂に比べて随分スローな出会いだったと思う。


以来ポツポツと、内面に向き合うタイミングが来る度、文庫でもハードカバーでもそのとき気になるものを手に取ったり、そしてまた忘れた頃に、友人が「読みませんか?」と貸してくれたりするうち、わたしの中では河合隼雄先生と同じくらいのポジションで励ましてくれたり、内なる影響を与えてくれる存在になっていた。(ばななさんと河合隼雄先生は対談集も出ているほど仲良しというところもふたりとものファンとしてはとてもうれしい)

そんなばななさんのnote、“どくふし”こと『どくだみちゃんとふしばな』は、ずっと気になっていたのに、なぜかお預けにしていた。が、とうとう、もう何度目かのばなな熱が知人からの飛び火で再燃し、夏至あたりに購読し始めてからというものドハマリしてしまい、このひと月半のあいだ、どうしても今やらねば、ということを除いて、

「ややや?? 今日は“どくふし”読むしかしてない…」

という日もあったほど。

毎土曜日前後に追加される新記事をリアルタイムで追いつつ、上から順番に、2020年、2019…18…17…2016年7月の初投稿までをコツコツと遡りながら、今日、ようやく全過去記事を読了。なんというか、ある意味走馬灯のようだった。

2018年の記事を読んでいるときには、

「ふむ、、、2018年の年末といったら、ちょうど〇〇していた頃か…」

というように、この4年のあいだ、わたし自身の身に起きた出来事がポンポンとよぎる。幼少期、青春期の交遊録、旅の記憶、感情の記憶(そしてそこには昭和史、平成史も含まれる)を読むに連れては、「ああ、◯◯ちゃん、元気にしてるやろか…」とさみしさを感じたり、「…あのときのあのヒト、結局どういうつもりだったのだろう???そんでもって、わたしはどうしようとしていたのだろう???」と、ほったらかしにしていたカサブタに気付いたりとか、、、ばななさんの語りに導かれ、あらたな見聞を加えるにとどまらず、こっちはこっちで自分史?の変遷を思い出さずにはおれないという、なんとも“プレイバック自分”効果バツグンの読書体験となった。

ハマるうちに、真夏の“どくふし”ブートキャンプとでもいいたいような、「今日もあのストレッチせなアカン…」といった日課めいたリズムが出てきてたので、見えない世界でのナントカ筋みたいなものが鍛えられていたらいいなと思う。

見える世界の実用面においてもネタの宝庫で、ばななさんが語る、おいしいもの体験記や暮らしや健康のツール・サービス情報は、東京でサラリーマンしながら『虹』を読んで、なんとかきれいな“気”を浴びて明日への活力をもらっていた二十代のわたしにこそ届けてあげたいのだけど(日々にこういった喜びを呼び込むことができていたら、もう少し生きやすかったろうに、と)、あの時に、あのしんどさを味わうための人物・舞台設定やら巡り合わせが、一ミリのズレもなく調えられたことは、それはそれでミラクルだ、と思える。

ほか、記事内で「ホニャララをおすすめ」として紹介されるレコメンドをもとに入手した本や、今後触れたいとフラグを立てたヒトやコンテンツは多々あり、そこんところは有料記事でのことなので、こんなところでペラペラ漏らしたりはしないけど…

これはご自身のご著書だからいいかな?『海のふた』は即、図書館で借りてきて一晩で読んでしまった。

大人になるまでの夏休みの、開放的でしあわせな時間と、どうしようもないことで傷つき疲弊することとのコントラストって、身に覚えあるな…とか、描かれている身近な海や山といった自然の、かつての姿と変化を迎えつつある姿にしみじみしたり、主人公がひと夏共に過ごす友人「はじめちゃん」のいちばんの魅力について言及するところなどは、今わたしが星読みのお客さんや身近な友人との対話を通して、いちばん掘り下げてるテーマともリンクしていて、「だいじなことを忘れないお守り」を、そっと手渡されたようだった。

と、まあ、こんな感じで見事“ふしばな”にジャックされていたものだから、ひさびさ(数えたら3月以来)に会った友人との会話にも「ばななさんがばななさんが」とはみ出させていたら、すっかりチューニングしたようで。

「TSUGUMIとかキッチンは読んでたけど…そういえば、さっき待ち合わせ前に寄った本屋さんでばななさんの本見た」

というではないか。それならと、その本屋に立ち寄ったところ、友人がさっき見かけたと思ってたフェア棚にそれらしき本が見当たらない。結局、[現代作家 よ]の棚にささっているばななさんのエッセイ『イヤシノウタ』を手に取り、「これにしよ」とお買い上げとなった。

わたしもまだ読んでいなかったエッセイ集。表4に記された本文内容は横目にナナメ読みしただけでも興味を引かれるもので、お父上の吉本隆明さんとの対談も収録されているとあり、note過去記事も残すところわずかだし、と、翌日わたしも本屋に走ったのだった。

81篇のお話のなかでも、「豊かさ」に記されたことには、シイーーーンとなる。よそ見をし過ぎたとき、かぶれ過ぎたとき、自分に戻る感覚の手掛かりは、こういうモノゴトなんじゃないかな。

願わくば、わたしの星読みも、手にしてくれた方にとって、そうであってほしい。

それと、奇遇なことに。この『イヤシノウタ』を買ったのは8月5日。そして今日、noteの過去記事のラスト3~4記事を(旧いほうへと)一気読みした中の【引き寄せの秘儀(あたりまえを考える)】という記事に、「昨日、『イヤシノウタ』の二度目の打ち上げが~」と書かれていて、(文庫版ではなく2016年4月に刊行された単行本のことみたいだけど)更新日は2016年8月5日だった。ギュイっと時間軸が交差したみたいでフフフとうれしい。noteからの一連の流れは、これまでの振り返りのコーチとなり、読むセラピーとなった。

=======

以下、マイ本棚よりオマケ。いずれとも思い入れ深い。

『News from Paradise』

パトリス・ジュリアンさんとの文通エッセイ。よく行く喫茶の書棚にあって、お茶しに行くたびに読むのが楽しみだった。読み終わったあと、自分でも手元に置いておきたくなって探したけど、新刊がどの書店にもなくて、何件目かの古本屋でようやく見つけたときの安心感といったらなかった。

『ひきこもれ』『真贋』

ばななさんの父上、吉本隆明さんの著書。もう一冊、『超恋愛論』も持っているけど、友人に貸したきりになってる。いずれとも温かい励ましに満ちていて、どんなときでも読むと元気に、ニュートラルになる。

星の一葉 ⁂ 光代

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?