「自分の持ち場を守る」
いつもと同じようで、いつもどおりではない一日一日。
何度も思い出したのに、つい忘れてしまいがちなこと。
揺さぶりはいろいろな距離を越えて、わたしにも届く。
目の前のかけがえのなさにハッと気づかされる。
神経が立つのを平らに戻してから、身の回りのできることからやる。
どうか、それぞれにちょうどいい大きさの音と声を受けとれますように。
以下の区切り線内は、2011年3月13日と3月16日に書いていた記録(ブログ)を再編。
大きな地震、たいへんなことになっている。これ以上の大事には至らないことと、被災地でも出来うる限りの安心で安全な生活が確保されることを祈るばかりです。
以前暮らした東京の街、友人や元上司先輩後輩同僚、御世話になったスタッフさんたち、弟、従兄弟が今日も暮らす街。
交通の不便、買い物の不便、計画節電をテレビのニュースで知り、感傷的になってもしゃあないとわかってても気が滅入ります。
Twitter を見てみました。陸上競技の為末大選手のメッセージに元気付けられています。やりかたがまだよくわからないので、そのまま転載させていただきます。
何ごとも自重傾向に思い詰めてあれこれものを言うわたしに、「その考え
だけで行ったら、経済活動が止まってしまわへんか?それはどうなんや?」と父の問いかけがありました。うううむ。。。そう、そうやんな。。。ううーむ、でも、、、とだいぶ考えが揺らいでおりますが、
節電、義援金の送付、とともに、普段どおりのお勤めにしっかり取り組むことも、自分ができることかと。
昨日、今日と百貨店の勤務でした。明日もです。あの場にいるからには笑顔でがんばります。その場限りかもしれない店員さんの笑顔でも、ほっとすることありますからね。
引き続き、各方面で起こっていることを見守りたいと思います。
そうそう、当時は西宮の実家住まいで、神戸のデパート勤務だった。
ブログには書いてないけど、職場の人とのあいだでも、当然震災のニュースは話題になって、自分の考えを伝えたら、京都から通ってるある人からは(会社は京都の製造業だった)「欧米人みたいな考え方やな」とのフィードバック。そこには「寄付とかボランティアとか考えるなんて」という揶揄が含まれていて(その人なりに変換すると“欧米人ぽい”ものを感じたようだ)、それ以上会話は進まなかったけど、今ならもう少し聞き出したり、こちらの受けとめ方も違ったりするだろうか。だれかの考えをどうこうしたい気はサラサラないが、心模様は教えてもらえるものなら教えてもらいたい。…って、そういうとこかな、「なんなんそれ?」って、おそらくその人が言いたかったのは。
この頃の体験が骨組みになって、今の想いや考えは当時と変わらない。
13年ぶりに、為末大さんの言葉もお借りして。
星の一葉
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?