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「GDPに気をつけろ」開発した本人が鳴らした警鐘 | きのう、なに読んだ?

サイモン・クズネッツという経済学者がいる。1971年にノーベル経済学賞を受賞した。1930年代にアメリカで、はじめてGDPを把握する手法を開発した人だ。

クズネッツはGDPがシンプルであるが故に限界があり、また誤用されるリスクが高いことを懸念していた。当時のアメリカ政府はGDPを指標として採用するを検討していたが、クズネッツは1934年の上院への報告書のなかで、このように警告した。先に原文を、あとに私のざっくり訳をつける。

“The valuable capacity of the human mind to simplify a complex situation in a compact characterization becomes dangerous when not controlled in terms of definitely stated criteria. With quantitative measurements especially, the definiteness of the result suggests, often misleadingly, a precision and simplicity in the outlines of the object measured. Measurements of national income are subject to this type of illusion and resulting abuse, especially since they deal with matters that are the center of conflict of opposing social groups where the effectiveness of an argument is often contingent upon oversimplification.”(出典

人には、複雑な状況において、その特徴をパッと捉える素晴らしい能力がある。しかし、厳密な定義なしにその能力を発揮するのは、危険だ。特に数値に関しては、それを見ると、対象は明確に定義できるものであり、計測手法は厳密であると勘違いしやすい。数値は断定的だからだ。私たちは国民所得計算(GDP)に対しても、こうした幻想を抱きやすく、誤用もしがちだ。国民所得計算は、対立する派閥どうしの論争の中核をなすため、ますます誤用されやすい。そうした議論では、論点を過剰に単純化したほうが、効果的に主張が通るからだ。

この指摘は、GDPだけでなく、あらゆる指標、あらゆるKPIについて言える。たとえば、体重は人の健康を推し量る有効な指標とされているけれど、健康は明確に定義できないし、体重は様々な要因で上下する。体重が適正だからといって健康とは限らないし、体重を気にしすぎるあまりに健康を害するケースもある。目的は健康であって、体重は指標に過ぎない。

クズネッツの発言を読んだのは、ちょっときっかけがあって、GDPという指標の歴史を少し調べてみたから。以下のウェブ上の論考を読んだ。

A Short History of GDP: Moving Towards Better Measures of Human Well-being
GDP: A Brief But Affectionate History
Dismal Facts: Measuring the Economy Before GDP
GDP: One of the Great Inventions of the 20th Century

GDPって経済/政治/社会開発の最重要指標の扱いだけど、そのわりには成り立ちがフワフワしていることが分かってきた。面白い。

例えば、こんなエピソード。

●アダムスミスは、「国の豊かさ」を測るのに、召使いの仕事は「生産的でない」からカウントしないほうがいい、という考えだった。

●現在のGDPのもとになったのは、1930年代前半のアメリカで、大恐慌から経済が回復しているのかしてないのかを、もうちょっと全体感もって把握したくて、政府(フーバー政権)が経済学者のクズネッツに依頼したもの。当初のクズネッツ試算には政府支出、軍事支出は含まれていなかった。「人々の厚生に資するものではないから。」

●1938−40年あたり、アメリカの世論は第二次世界大戦に参戦するか否かで割れていた。政府(ルーズベルト政権)はアメリカの経済力が戦争に耐えうることを示したくて、そういう理屈が通るよう、指標の定義を作り替えた。

●第二次大戦後のブレトンウッズ会議。1930年代におきた、不況、保護主義台頭 → 各国経済縮小、雇用縮小 → 社会不安 の連鎖が戦争を引き起こしたと分析。1945年時点においては、貿易を活発にし、各国経済が活発になり、雇用が増えることが、世界平和に資するという見立てだった。分析にアメリカ(とイギリス)が提供したGDP資料が多用され、議論を牽引したことと相まって、この会議で創設が決まった世銀とIMFは、GDPを主要指標としながら業務を展開。世界にGDPが指標として広まった。

方法は、目的と状況で決まる」と、西條剛央さんはおっしゃった。

それでいけば、GDPという指標は、1930年代〜40年代の世界の政治経済の状況と目的に即した「方法」に過ぎない。ただのKPI。それが、はじめに紹介したクズネッツの警告につながるわけ。

また、「現代の行き過ぎた資本主義」みたいな言い回しを目にするけれど、それは少なくとも
18世紀から発達した市場社会、(詳しくはこちらのnoteをどうぞ)
1945年頃からひろまったGDP中心の経済運営、
1970年代(ニクソンショックとか)以降のマネーの膨張、
など複数の側面があり、それぞれに異なる「状況と目的」があったことは、ふまえたいですよね。

調べていく中で、この本を見つけた。短くて面白そうなので、読んでみようと思う。HONZの書評もありました。

今日は、以上です。ごきげんよう。

(photo by Paola Kizette Cimenti)

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