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オレゴン州マドラスは低所得だった話

16歳のとき、人口2250人のオレゴン州の田舎町、マドラスに1年間、交換留学してました。1984年のことです。トランプ支持層である地方の白人、というと、私はここをイメージする、というお話しの続きです。(第1回

マドラスは、所得水準は低かったと思います。

産業と呼べるものがない。土地がやせていて降水量も少なく、主にとれるのは、ミントでした。ミントって、東京の私の実家では庭に、雑草のようにじゃんじゃん増えるような草です。当時のマドラスでは、それしか農作物にならない。草も生えませんから、酪農も、無理。

いまwikipedia を見ると、おもな産業に林業があがっています。町から20キロほど北西に行くと木が生えている山地があり、そこの木を切って出荷するんだと思いますが、当時、周囲に林業で食ってる、林業で稼げている、という光景は、ありませんでした。

家から学校に送ってもらうときに通るハイウェイは視界に車が3台もあれば「今日は混んでるね!」という感じでしたが、材木を積んでるトレーラーは見たことがないです。

「マドラスでは、ミントが採れるんだよ」
いつもそうきいてました。

林業にたずさわっているのは、北西にあるネイティブ・アメリカンの居留地の人たちで、自分たちではない、そういう感じでした。

wikipediaの記述を見ると、なかなか興味深い。2000年のデータです。
●家計の平均収入 $29,103
●人口の19.6%が貧困層

同じ年、全米の家計の平均収入は$57,790でしたので、マドラスは、およそ半額ですね。その年の貧困層、全米では11.3%だったそうです(歴史的にも低い水準だった年)。マドラスの貧困率は全米平均より多かった。

それでも、当時の私の第一印象は「アメリカ、すごい豊かだ!」でした。そんなど田舎でも、道は舗装され、町のはずれでも上下水道ガスがばっちり来ていたのです。

1984年の日本では、修学旅行などで行く田舎は下水がきてなくてトイレは汲み取り式、ガスはプロパン、というのが珍しくありませんでした。東京でも郊外には、そういうお宅がまだある時代でした。

ホストファミリーは、お父さんは高校の司書の先生、お母さんは隣町の役場で働いていました。お父さんは大卒、お母さんは高卒。お父さんは苦学生で、いろんなアルバイトをしながら大学に通った話をよくしてくれました。最悪だったのは、トイレ掃除のバイトだった、女子トイレの汚物入れの生理ナプキンを片付けるのがとにかくいやだった、という話を何度かきいたことがあります。

今思えば、その田舎町のなかではインテリのプロフェッショナルの一家だったのですよね。ホストファミリーの交友範囲も、同じ高校の先生仲間と、あとは親戚、という感じでした。

隣に住んでいた同級生のジュネル(隣といっても、車じゃないと行けない距離)は、物静かで、ちょっと気弱で、留学生の私にもやさしくしてくれる子でした。

シングルマザーのお母さんと、お兄さんで暮らしていました。お母さんは昔モデルをしていたらしい、という噂で、いつも煙草を吸って、仕事をしてる様子はあんまりなくて、家はなんとなく辛気臭いんだけれど、レモンケーキのレシピを教えてくれたり、私の帰国後もよく手紙をくれました。

お兄さんはけっこうぐれていて、家にもあんまりいないし、学校でたまに見かけるといつもタバコ吸ってるし、週末はマリファナパーティー三昧らしい、と学校でもっぱら噂になってた。

ジュネルに「泊りにおいでよ」と誘ってもらいましたが、ホストマザーには「あの家に泊まりにいっちゃだめ」と禁止されました。そのことで、ジュネルのお母さんがホストマザーの悪口をガンガン言うのを聞かされたりして、なかなか複雑なんだな…と16歳なりに理解しました。

他の友達のうちにもよく遊びに行きました。小規模農家、商店主、自動車修理工、公務員などなどでしたけれど、ほんとうに、どうやって生計を立てているのか16歳の私には分からないおうちが少なくなかった。家はどれも東京の感覚からしたら広いのですが、内装としつらえ、お手入れにかなり差があって、そこに経済力の差が表れている感じでした。

こんな状況の町でしたが、危機感、喪失感、あるいは「政府が悪い」と外部に責任主体を探すような印象を受けた憶えはありません。

どちらかというと「これでいいのだ」。

これが、satisfactionなのか、complacencyなのかは分かりませんでしたし、16歳の高校生でしたから、見えてないことがたくさんあったのかもしれません。

トランプ支持層の中核と言われる、アメリカの労働者層は一昔前は製造業に従事して、中産階級となったけれども、いま、その仕事が中国や他の発展途上国に奪われて、経済的にも、社会的にも追い込まれている、とメディア報道や書籍で読んでいます。

そこに比べると、私のいたマドラスは、中産階級になっていく機会事態が、それまであんまりなかったんじゃないかと思います。町に中産階級を生むような産業がないから。その分、「失った」感じは味わわずにすんでいるのかもしれません。

人種の話は、また次回に。

(2016年11月18日にFacebook に投稿したものを転載しました)

(picture by Amy Meredith)

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