異議を唱えるには、まずよく理解してから

愛読しているウェブサイト Farnam Street のメルマガに、"The Dying Art of Disagreement" というNew York Timesの論考が紹介されていました。私の憧れる「知的誠実さ」「知的強靭さ」ってこういうことよね、と感銘を受けまして、忘れないように一部を抜粋して翻訳をつけました。抜粋部分の最後、「自由民主主義を維持するには、一般教養を備えた国民(自分だけでなく他者の自由を尊重する教育を受けた国民)が必要」という部分が、衆院選があった今日、特に響いたのかもしれません。


To listen and understand; to question and disagree; to treat no proposition as sacred and no objection as impious; to be willing to entertain unpopular ideas and cultivate the habits of an open mind — this is what I was encouraged to do by my teachers at the University of Chicago.

よく聴いて理解すること。疑問を持ち異議を唱えること。どんな命題であっても聖域化せず、どんな反論であっても軽視しないこと。評判の悪い思想も真正面から評価する姿勢、様々な思想を受け入れる姿勢を磨くこと。シカゴ大学では、こうしたことが奨励された。

It’s what used to be called a liberal education.

これこそが、a liberal education (一般教養、リベラルな教育、自分だけでなく他者の自由を尊重する教育(*))と呼ばれたものだ。

The University of Chicago showed us something else: every great idea is really just a spectacular disagreement with some other great idea. Socrates quarrels with Homer. Aristotle quarrels with Plato. Locke quarrels with Hobbes and Rousseau quarrels with them both. Nietzsche quarrels with everyone. Wittgenstein quarrels with himself.

シカゴ大学では、もうひとつ重要なことを教わった。素晴らしい思想とは、別の素晴らしい思想への大いなる異議表明だ、ということを。ソクラテスはホメロスと論争する。アリストテレスはプラトンと論争する。ロックはホッブスと論争し、ルソーはその二人と論争する。ニーチェは全員と、ヴィトゲンシュタインは自身と論争する。

These quarrels are never personal. Nor are they particularly political, at least in the ordinary sense of politics. Sometimes they take place over the distance of decades, even centuries.

こうした論争は、個人攻撃ではない。政治的でもない。何十年、何世紀もの歳月をまたがる論争もある。

Most importantly, they are never based on a misunderstanding. On the contrary, the disagreements arise from perfect comprehension; from having chewed over the ideas of your intellectual opponent so thoroughly that you can properly spit them out.

もっとも大切なのは、こうした論争は誤解とは無縁ということだ。誤解どころか、相手の考えを完璧に理解したうえで、反対意見を表明しているのだ。知的論争の相手の思想を消化しきって、完璧に再現できる。その上で異議を唱えているのだ。

In other words, to disagree well you must first understand well. You have to read deeply, listen carefully, watch closely. You need to grant your adversary moral respect; give him the intellectual benefit of doubt; have sympathy for his motives and participate empathically with his line of reasoning. And you need to allow for the possibility that you might yet be persuaded of what he has to say.

つまり、よき異議表明には、まずよき理解が必要なのだ。深く読み解き、注意深く聴き、つぶさに見なくてはならない。敵を心から尊重し、信頼を置き、相手の動機に共感し、その論理展開に寄り添わなくてはならない。そして、相手の意見に説得されるかもしれないという余地を、自分に残さなくてはならない。

(Allan Bloom) also insisted that to sustain liberal democracy you needed liberally educated people. This, at least, should not have been controversial. For free societies to function, the idea of open-mindedness can’t simply be a catchphrase or a dogma. It needs to be a personal habit, most of all when it comes to preserving an open mind toward those with whom we disagree.

(哲学者のアラン・ブルームは)自由民主主義を維持するには、一般教養(*)を備えた国民が必要だ、と主張した。少なくともこの主張は、議論の余地はないはずだった。自由な社会が機能するには、「様々な思想を受け入れる姿勢」は単なるキャッチフレーズやドグマであってはならない。一人ひとりの習慣でなければならない。この習慣が真価を発揮するのは、自分の意見とは異なる見解に直面した時だ。


(*) 篠田より:liberal educationの翻訳は、ぴったりした表現が見つかっていません。科目としては日本の大学の一般教養に近いと思いますが、その狙いは「リベラルな」教育、自分だけでなく他者の自由を尊重する姿勢を育てる教育です。アラン・ブルームを引用した liberally educated people とは、つまり著者がシカゴ大学で受けたような教育を意味しているものと理解しています。
 この文章を公開した当初は liberal education に「リベラル・アーツ教育」という訳もあてていました。「リベラル」という言葉が日本語の文脈だと英語とは異なったニュアンスになってしまうこと、アメリカのリベラル・アーツ・カレッジの教育の狙いと近しいものがあると解釈したことから、そのようにしていました。複数の方から、この文章の liberal education はリベラル・アーツ教育ではないとご指摘いただき、直しました。ありがとうございました。

(picture by Ape Lad)

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篠田真貴子

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