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誰にだって心の声はあるし、かと言って誰の話を聞くかは選びたい

私が人と接する時に、ちゃんと心に留めておこうと意識していることがいくつかあります。
(内容は、個人的な認識です)

・誰にだって、気持ちとか心の声がある。それを無理矢理黙らせ続けると、何らかの形で噴出する。
そして私にも心の声はある。自分を抑圧させ続けるのは、自分への虐待だ。
誰の話を聞くかは、自分で選びたい。

・人間関係とか人生には、いくつかのセオリーとかパターンはある。
けれど、すべての人の人生も心も、例外的でオンリーワンなのだ。

・人の気持ちも、自分の気持ちも、仲も縁も
『コロコロ変わる』ほうが基本。
長く変わらない部分があるとしたら、それはそれがありがたくて尊いのだ。

・自分にとって大切な信念は、自分が大切にしていくもの。
誰かに力づくで証明したりするものじゃない。
正当化はしないと誠意に欠ける時もあるけれど、しなくていい時もたくさんある。

・『1つに団結して』っていうのは、短期的にできたとしても、長期的には、たいてい無理。
成熟した集団は、住み分けとか分裂があったとしても、それを尊重したり、時に協力できるように話し合いの場を持てるような集団かなって思う。

・どこにだって、ギャーギャーわめく未熟な人はいる。どこにだって、利己的な人はいる。それをゼロにしようとすると、潔癖症のように『本来やりたかったことができなくなる』ジレンマにおちいる。
とはいえ、やれることはある。お金で静かな環境を一時的に買ったり、かわす技術を身に付けたり、大事な物事に関する人は選んだり……。
けれど決して、ゼロにはできない。
生きていく上で、無菌状態は永続には無理なのだ。

・繰り返しになるけど、誰にだって、私にだって、気持ちとか心の声がある。それを無理矢理黙らせ続けると、何らかの形で噴出する。
開放したり昇華し続けることは、とても大事なことなのだ。

・ギャーギャー言う人はゼロにならないとしても、どんな人たちを心の真ん中にして交流していくかは、選びたいのだ。大抵は、選べるのだ。嫌われたり非難される覚悟を持てば。

・りきんでしまった身体は、自然の中で大きく伸びをしてリラックスさせよう。
深呼吸、深呼吸。

・今嫌いな相手はたぶん100年後生きてない。

・でももしかしたら、今日出会う木々は100年後生きてるかもしれないね。
自然と繋がるイメージ、プラス、ありがとうって気持ちで、身体と心をほぐそう。

・何かが長続きしない自分を責めるのではなく、そもそも色んなものは循環していく……循環は出会いと別れの連続のようで、でも流れの大きな潮流では繋がっている。

・本で読んだけど、自分を尊重することと、他者を尊重することが同じレベルで釣り合うと、人生うまくいきやすいらしい。
(どちらかだけに傾くと、車輪の大きさが違う二輪車のように迷走しちゃう)

・自分が大切にしていきたいものを、いつだって何度だって見直して点検する。順位も、その時々でちゃんと即した順番に入れ替える。

・サヨナラは、生きていく上で必要なのだ。

・そして人や物事と、新しく出会い続けていくのだ。

・よし、大丈夫。
今日も自分の心の声を確認して、それをできうる限り尊重して生きてみよう。

おはようございます。
いってきます^ ^


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