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新しい家族のかたち ー「拡張家族」という夢と可能性ー

夢のはなし

「将来の夢はなんですか」と聞かれてすぐに答えられたのは中学生までだったと記憶している。当時私は「盲導犬訓練士」になりたかった。郡司ななえの『ベルナとしっぽ』(角川文庫)を読んで感動したのと、単純に犬好きだったのと。「夢」と問われればすぐに出せるとっておきの回答だった。

夢が特定の職業じゃなくてもいいと気づいたのは割と遅い、高校生の時。「トライリンガルになる」とか「世界を渡り歩きたい」とか、そのくらい「夢」と「やりたいこと」が近づいたタイミングだったように思う。この頃は、自分の「やりたいこと」を追求すれば立派な夢になると思っていた。

学生生活最後の年、今のわたしにとっての「夢」は「やりたいこと」に加えて、社会性を帯びた「やるべきこと」とのバランスの中にある。今、わたしの夢は、「新しい家族のかたち」をつくり、広く浸透させること。それは、わたし自身が新しい家族のかたちを実践することでもあり、同時に、「新しい家族のかたち」によってあぶれる人の少ない社会にしたいという自分勝手な使命感のようなものでもある。

「家族の定義はない」という大前提

そもそも「新しい家族のかたち」とはなにか。どこからが新しさなのだろうか。それにはまず、「家族」の定義からしなければならない。

『岩波国語辞典 第七版』(2009年版)には、「家族」とは「同じ家に住み生活を共にする、配偶者および血縁の人々」とある。小学生向けに出版された『新レインボー小学国語辞典 改訂第3版』(2008年版)には、「同じ家にくらしている親子・兄弟・夫婦など」という説明が記載されている。ふたつの「家族」の定義を見て浮かんだのは、まず、「親子・兄弟・夫婦」とはそもそも誰なのか、線引きが難しいということについて。次は、「同じ家」に住むという物理的条件がないと家族ではないのか、という疑問だ。血縁のない妹や、単身赴任している父や、同性カップルはどうだろうか。例外はないのだろうか。結論から言うと、家族の定義なんて存在しないのだ。といっても、そんなことはわたしが言わずとも誰しも知ってるし、改めて言うような話ではないけど。

問題なのは、「家族の定義なんて存在しない」はずなのに、いまだに制度や古くからの慣習に基づく偏見から「家族」観に違和感を抱き、傷ついている人がいるということ。例えば婚外子差別、片親の子育て、同性婚(日本ではまだ「同性パートナーシップ」)、児童虐待、孤独死、家事の性役割、妊娠出産に関する負担…など挙げたらキリがないくらい、家族のかたちに悩み、偏見に苦しみ、虐げられている人がいる。家族にかかわる問題を一つに括ってしまうことの危険性についてはひとまず別として、これから上げる「新しい家族のかたち」はそうした家族に関する多くの課題を解決しうるひとつの選択肢だと思う。

「新しい家族のかたち」のヒント

家族の再定義を行おうとしている人たちは今日増えている。そうした「新しい家族のかたち」は、今様々な取り組みを経て、日本の家族観を変えつつある。ここでは例として、二つの取り組みを取り上げる。

1)「拡張家族」ー渋谷の拡張家族ハウス「Cift」ー
2017年にオープンした渋谷の複合施設「SHIBUYA CAST.」内で、様々なバックグラウンドを持った60人(2019年5月時点)が共に暮らし、働いている。「Cift」には得意分野などのスキルをシェアしながら仕事をするという特徴の他に、介護や保育などの家事や役割を分担したりシェアするという側面もあるらしい。


Cift発の「拡張家族」という概念がある(以下のイメージ図参照)。ライフスタイルも活動領域も異なる人々(ひとり)が、集まり(ひとつ)、「拡張家族」になろうと自己を変容させていくことで、「家族」の枠を広げていく、そんな感覚に近いのではないだろうか。

スクリーンショット 2019-11-14 19.07.27

http://cift.co/life/1659 より画像を拝借

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2)「お父さんバンク」というプラットフォーム
2017年に始まった、子育てのサポートを必要としている人が無料で「お父さん」を借りられるシステム。子育ての分野において自分の得意なことや好きなことを持て余している人と、それを必要としている人を結ぶ子育てサービスのプラットフォームとも言える。共同保育とも。もともとシングルマザーの一声で始まったシステムだが、「お父さん」は老若男女問わず誰でもなることができる。


「他人ではない人」の層を厚くしていく、という意味で、「お父さんバンク」も、はじめに紹介した「Cift」の「拡張家族」の概念によく似ている。既存の家族の定義にとらわれず、自分たちで主体的に家族の概念や家族観を変えていくことが可能だ。両者とも、家族だと言える人を増やしていく中で、社会やコミュニティからこぼれ落ちる人を減らす可能性を秘めているのではないか。

改めて、夢のはなし

「拡張家族」の価値は、シングルマザーも、高齢者介護に苦労する人も、親をなくした子も、一人暮らしに物足りなさを感じている人も、家事が得意でない人さえも「家族」の中にしっかりと受け入れる包容力と繋がりを広げていくパワーの大きさにある。それだけではなく、既存の家族観や結婚制度などの法制度に違和感を抱く人が、社会に疑問を投げかける意思表示の手段にもなりうると思っている。

つまり、血縁重視の家族観や結婚制度それ自体に違和感を抱く人 ー それは養子縁組で親になった人、性的少数者、子どもは産まないと決めた人、児童虐待を受けた経験のある人、DV被害にあった人、犯罪歴のある人、障害のある人....どんなケースでも有り得るが ー にとって、「拡張家族」という選択は、「制度的な保証がなくても家族関係は築ける!」という彼らの叫びになりうるということ。その「叫び」が誰かにとって大きな影響になるのかもしれないし、苦しんでいる人の希望にだってなり得るかもしれない。あくまで可能性の話ではあるけれど。

わたしの夢は、より流動的な(固定概念や偏見で傷つく人が減るでは、という意味で)社会のために、「新しい家族のかたち」を提唱すること。そのために、今のわたしにはより良い場づくりやコミュニティ形成について自分なりに模索することができる。また、人を巻き込んでいく魅力と、構想力と、もちろんスキルも、身につけていく必要がある。「夢」を夢で終わらせないために、今からできることはたくさんある。わたしは今、社会人になる一歩手前で、社会の方を向いて「やるべきこと」を意識し始めた段階にあるのかもしれない。

追記...「拡張家族」をはじめとする「新しい家族のかたち」はコントロバーシャルな話題だけに、実行するには良い面だけではない。どこかの国家に帰属しているからには、現行の社会制度や法に守られて安心することも事実として多い。リンクにもあげた「お父さんバンク」の来世さん曰く、「お父さんバンクは既存の家族を否定するものではない」*。「新しい家族のかたち」が、従来の家族観との二項対立ではなく、あくまで一スタイルの可能性として共存していくことがわたしにとっても理想的である。

* https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/05/otosan-bank_a_23475087/ 参照


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