見出し画像

ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。8

【放送作家4年目(25歳) 2005年】

 1年目にサブ作家として出入りしていたラジオ局で、メインの作家として初めてのレギュラー番組が決まりました。新しくナイナイANNのディレクターになったGさんが、僕を別番組の作家として使ってくれたのです。Gさんは

「お手伝いとはいえ、ギャラが出ていないのはおかしい」
と初めて実際に動いてくれた人です。
 本人からそう言われたわけではありませんが、ナイナイANNからは支払えないけど、別番組でギャラを出すからナイナイの方もお手伝いとは思わずにしっかり頼むね、ってことだったと思います。
 それまで僕がやっていたハガキの仕分け(コーナーごとに分ける作業)も、もうやらなくていいと言い、そこから局のバイトさんにやってもらうようになりました。

 Gさんとは、レギュラー以外にも深夜の特番を2年間で50本以上やらせていただきました。深夜の特番枠は各事務所が推している(これから推していく)タレントさんがブッキングされることが多く、のちに大スターになっていく人もいて、とても貴重な経験でした。
 1回限りの特番なのに、その度に打ち合わせをして企画を考え、台本を上げるという、かなり面倒な作業ではありましたが、今思えばこの時の経験が放送作家としてのスキルアップに繋がったと思います。
 Gさんは、いい意味で適当で、ぐうたらなところがあり

「今回は打ち合わせ無しで。いい感じで書いといて!」
と丸投げされることも多かったですが、僕としては好きなように自由に書けて、やりやすかったです。チャンスをくれたGさんには、心から感謝の気持ちでいっぱいです。


 このラジオ局ではメインの作家とサブ作家で扱いに雲泥の差がありました。メインの作家は「先生」と呼ばれ、サブ作家は「お前」と言われディレクターに肩を揉まされたりパシリに使われたり、もちろんギャラにも差がありました。1年目にサブ作家で月から木まで走り回って10万円だったのに、メインになるといとも簡単にその金額を稼ぐことができます。
 このヒエラルキーが残酷なのはサブ作家という扱いに甘んじてしまうと何年経ってもずっとサブ作家のまま、ということです。3年ぶりに制作部のサブ作家が集まるスペースに遊びに行くと、顔ぶれはほとんど変わっていませんでした。
 僕が幸運だったのは、生意気すぎて1年でサブ作家を干されたことでした。そこから週1の深夜帯に潜っていたおかげで、あの顔面凶器が見ないうちにヒゲなんか生やして、やけに色黒で、オメガの腕時計にエルメスのバッグを持っているわで
「実は、デキる作家さんなのかも」
と勝手なイメージが先行したのか、それ以降サブ作家として呼ばれる仕事はなくなりました。

 実感としてもありました。サブ作家が「こんな感じでいかがでしょうか?」と持っていった企画は、速攻で「つまんない」と却下されるのに、メインの作家となり、上から「これどう?」と言えば「それいいですね!」となる。
 作家の仕事が全てそうとは言いませんが、このラジオ局で味わった手のひら返しが強烈で、この時期くらいから僕は異様なまでに虚勢を張るようになりました。「相手にナメられたら終わり」「安く使われたら負け」という意識が強くなっていったのです。

  余談で、この時期にやったCMのお仕事でもそういった場面がありました。クライアントと会う前日に、担当者から「明日は、一番高い靴を履いてきてください」と言われました。相手は、その人が履いている靴を見てギャラの金額を決めるのだとか。僕はその意味を勘違いして、家にあった一番高いグッチの「ビーチサンダル」を履いて行ってしまい、汐留にある某大手広告代理店にビーサンで乗り込むという大失態を演じました。焦った担当者が、僕のことを「独特な世界観を持った作家さんです」ととっさにフォローしてくれましたが、あれは今でも顔から火が出る思いです。


 この年だったか、ナイナイの矢部さんがお引越しをするとのことでご自宅に呼んでいただきました。僕と作家のAさんとナイナイのマネージャーの3人で、矢部さんがいらなくなった服や靴などを貰いに行ったのです。マネージャーさんは大型テレビをもらう約束もしていたようで、僕らは裏で「矢部っちフリーマーケット」と呼んでいました。

 恵比寿のマンションに伺うと、矢部さん本人が出迎えてくれました。僕らは衣装部屋に通され「好きなのを持って行ってええで〜」的なことかと思いきや、

「ほな、やろか」
と矢部さんが僕らの前にドンと座り、自ら衣装ケースから1枚1枚、服を取り出して僕たちに振り分けてくれました。

「このTシャツは… お前に似合いそうやな〜」

「ありがとうございます! いただきます!」

「この帽子は、お前かな。ちょっと被ってみ。あかん、全然、似合わへんからお前にはあげへん!」

「いやいや! 似合いますって!」

「そか? ほな、あげよか〜」

などと矢部さんに散々遊んでもらい、たくさんお土産をいただいた後、帰ろうとした時でした。

 矢部さんに「顔面、ちょっとおいで〜」と、僕だけリビング呼ばれたのです。

 高そうなソファーが置かれた広いリビング。壁にはサッカーのユニフォームや絵画が飾られています。矢部さんの後についていくと、そこには高級なガラスの棚がありました。中には高そうなウィスキーやグラスが並んでいます。

「棚の中、見てみ〜」
と矢部さんに言われ、中を覗くと…

 そこには、4年前、僕が出待ちの時に渡した「黒ひげ危機一発」が置かれていました。

BGMカットイン(HOWEVER/GLAY)

 矢部さんはそれを取り出し、僕に手渡してくれました。

「お前からもろた黒ひげや。残念やけど、この黒ひげは今回の引越しで脱落やな。せやからお前に返しとくわ」

 この黒ひげは、僕が作家になる前の一リスナーの時代に渡したものです。それを今まで持っていてくれたとは、しかもこんな形で返されるとは。

 一気にハートを鷲掴みにされました。感激でした。

 この話は続きます。


放送作家 細田哲也 ウェブサイト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?