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ハガキ職人から放送作家、そして。17

【放送作家16年目(37歳) 2017年】

3月。僕は目黒区学芸大学に引っ越して、彼女と同棲を始めました。
きっと彼女は、この頃にはもう僕の状況に気づいていたのかも知れません。「私も家賃を払う」と言って、雑貨屋さんでバイトを始めます。

「プロ野球のシーズン中なのに、いいの!?」

「うん、早番にしてもらうから大丈夫!」と彼女。

やはり、何があってもナイターは見たいようです。

彼女は「せっかく同棲してるんだし、自炊をしよう」と言いました。一緒にスーパーについて行くと、彼女はレタスを両手に持って天秤のような動き。重い方が、中身がたくさん詰まっていてお得なのだそうです。ニラは先っぽが溶けていないものを選ぶと良い、お肉はどこどこのスーパーに行った方が安い、などと。僕は母親にモノを教わる子供のように、それを聞きました。

「今日の晩御飯の、材料費はいくらだったでしょうか!? ドゥルルルル(口ドラムロール)…ダン! 400円でしたー!」

ご飯の後、彼女はいつも自慢げにクイズを出してきます。確かに自炊は驚くほど安い、二人だとさらに経済的です。

浮世離れした生活を送ってきた自分にとって、小さな発見の一つ一つが新鮮でした。僕は食器の洗い方や洗濯物のたたみ方、ゴミの捨て方などを教えてもらい、率先してやるようになりました。「これ教えて」とお願いするたびに

「そんなことも知らないの? 今まで、どうやって生きてきたの? ひくわ!」

と言われましたが、「はい、その通りでございます」と謙虚な気持ちで教えを請いました。

そんな生活の中で、僕は「ありがとう」と「ごめんなさい」が自然に言えるようになっていったのです。これは、僕にとっては革命的なことでした。

そして、2017年8月5日。僕が人生で2番目にたくさん泣いた日です。
何かが動き出す瞬間というのはドラマのように劇的ではなく、実にあっさりとしています。

昼。彼女と渋谷で久々に外食をして学芸大学に戻り、駅前のパチンコ屋さんで1時間ほどスロットを打ち、家に帰りました。二人とも疲れてベッドに横になりながら、スロットで勝った負けたという話をしていると、彼女が突然こんなことを言ったのです。

「お金、足りてるの? 仕事、大丈夫なの?」

あまりにもストレートな問いに、僕は驚くほど素直に言葉が出ました。

「大丈夫じゃない!!」

そう口に出した瞬間、目から涙が溢れてきました。

ずっと一人で抱え込んでいた言葉を吐き出せた安堵、38歳にもなって彼女にそんな心配をさせてしまっている情けなさ、感情が入り乱れ、涙の理由を頭の中で捕らえようとすればするほど、余計に涙が止まりません。

現状が上手くいっていないことで、これまでの選択が全て間違っていたと感じてしまいます。あれもこれも、それも、放送作家という道を選んだことすら間違いだったのはないか、とも。

「何もかも、すべて僕がいけなかったんだ」

彼女の胸で泣きながら、僕はすべてを吐き出しました。

改めて思います、男って本当に弱い。そして、女はマジで強い。

「連絡出来る人に、とりあえず連絡してみたら?」と彼女。
彼女のシンプルかつストレートな言葉に、僕はどれだけ助けられたことか。

僕は翌日、思いつく人すべてにメールを送りました。こんな僕と仕事をしてくれている人に「ありがとう」を、そして過去に失礼な態度を取ってしまった人には「ごめんなさい」を。連絡先を削除してしまった人にはフェイスブックやツイッターを探って、メッセージを送らせてもらいました。

そして、僕はこの「回顧録」を書くことを思いつきます。
今まで自分がどのように生きて来たのか? どこが悪かったのか? 本当にすべての選択が間違っていたのか? 確かめたくなったのです。

そこから2週間をかけて、およそ7万字。144ページにわたる文章を書き上げました。

自分と真剣に向き合った2週間。それは思ったよりも悪くない作業でした。書きながら当時のことを思い出して涙したり、たまにクスッと笑ったり。ページを重ねるうちに、僕はこの文章を自分の名刺にしたいと思うようになりました。

恥ずかしい過去も失敗も、涙も、すべてがあって僕。
これから出会う人には「よろしくお願いします」の気持ちを込めて、届けたい。

そして、今回のnoteの投稿へと繋がっていきます。

この話は、あと少しだけ続きます。


放送作家 細田哲也 ウェブサイト

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