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ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。5

【放送作家1年目(22歳) 2002年】

 サブ作家の仕事を続けて半年が過ぎた、ある木曜日。Bさんに呼ばれて別フロアにある会議室に行きました。ドアを開けると、そこにはナインティナインの岡村さんと矢部さんがいました。

 Bさんはまたも唐突に
「こいつ、ハガキ職人の顔面凶器です。今週から、サブに付けますので」
とお二人に僕を紹介しました。

 すると岡村さんが「そのトレーナー、俺も同じの持ってるわ」と僕の着ていたスウェットをイジってくれました。僕は緊張で何と返していいのか判らず、かといって何も言わないも失礼だと思い、「4千円で買いました」と、よく判らない返しをしたのを覚えています。
 そこには番組のチーフ作家さん、サブ作家のAさんもいて、僕はその下の「お手伝い」という立ち位置で番組に加わることになりました。もちろんギャラは出ません。当然ながら僕には断る理由がなく、自分が好きで聞いていた番組に加われるなど夢のようでした。

 翌週から、ナイナイANNの本番前の会議室に僕も入ることになりました。
 会議室では、僕は特にやることがなく手持ちぶさた。憧れの岡村さんと矢部さんが目の前2メートルのところに座っているのに「私語厳禁」を信じていたこともあり、何か会話が起こってもそこに入ることが出来ませんでした。僕は机の上のゴミを片付けるふりをしてお二人の席に近づき、気づかれないようにジロジロと観察…。

(矢部さんて、細くて綺麗な指してんな〜)

(岡村さんの耳って、後ろから見ると、なんか面白い形だな〜)

などと、入ってからしばらくはそんな感じでした。

 ここから12年間、僕は『ナインティナインのオールナイトニッポン』のスタッフとして、お世話になります。


【放送作家2年目(23歳) 2003年】

 この3月で、僕が初めてサブ作家をやらせていただいた番組が終了。わずか1年での打ち切りでした。スタッフは一旦解散となり、空いた枠で新番組がスタートするのですが、通常であれば新番組になってもサブ作家はそのまま同じ人間を使います。月曜から木曜まで、その時間が空いている人を新たに探すのが面倒だからです。「どうせ雑用だし、誰でもいいか」という感じで呼ばれるはずが、僕にはお声はかかりませんでした。当然です、僕のような生意気で言うことを聞かないサブ作家を使おうと思うはずがありません。

 唯一の収入だった10万円がゼロになり、月曜から木曜までのスケジュールがガラ空きになりました。ラジオ局に出入りするのも週に一度、深夜のナイナイさんの番組にお手伝いをしに来るだけ。

 それでも全く不安はありませんでした。 前年の秋から銀座のクラブで働くDさんに食べさせてもらっていたからです。先輩に一度だけ連れていってもらった高級クラブでの出会いがきっかけでした。
 あの日。店に入ると先輩の横に指名のホステスのEが座りました。Eは「なるほどね〜」と僕を見定めるとボーイさんを呼び「Dで!」と指示。そして僕の横に座ったのが、ヘルプ嬢のDでした。

 キャバクラとは違いクラブのシステムは独特で、指名嬢とヘルプ嬢の立場に相当な差があります。このテーブルでは「指名」であるEに絶対的な発言権があり、どのお酒を頼むか、誰にどの酒を出すか、連れの客(つまり僕)の横に誰を座らせるかも、全てEに決定権があります。安っぽい服を着た、いかにも貧乏そうな僕を見て、EはDを座らせたのです。

「キミたち、お似合いじゃん!」
と上から目線で言われ、後で聞いたらこのEとかいう女は年下(20歳)でした。

 僕が新人の放送作家をやっていることを話すと、
「じゃあ、Dちゃんが面倒見てあげなよ!」とEは言いだしました。

さらに
「今日は、Dちゃんのお家に泊めてあげてね!」と無茶振りもいいところ。

 もう深夜2時を過ぎていて帰れないのは確かですが、さすがにそれはないだろうと思っていると、どんどん話が進み本当にそうなってしまいました。 


 それから約8ヶ月もの間、僕は錦糸町にあるDのマンションに入り浸っていました。なんせ収入がないので、生活費のほぼ全てをDに出してもらっていました。Dは僕より2つ年上で高校を卒業して北海道から上京し、バイトをしながらタレントを目指していました。小さな芸能事務所に入るも仕事はほとんどなく、クラブでバイトをして食い繋いでいるとのこと。
 指名の客もほとんど付かず、Dは万年ヘルプ要員だそうで、毎月強制同伴(お店の指定で必ず同伴しなければならない日)のペナルティなどが引かれて、それほど儲からないとか。

 Dが不利だったのは、仮にあの店で僕がDを指名して飲んだとしてもマージンとして売り上げの何パーセントかはEに行ってしまうというルールでした。つまりEのテーブルで知り合った僕とDは、Eが親だとしたら子。子の売り上げの一部が親に延々と吸い取られていくという、下が断然不利なシステムです。
 これはサブ作家とメインの作家の関係に少し似ているところがあり、僕がDに惹かれたのも、そういったシンパシーがあったのかもしれません。

 そんなDの苦労も特に気に留めることもなく、僕はDから借りたお金で朝からパチンコを打ち、勝ったお金で江戸川区にある自分の部屋の家賃を払ったりしていました。帯番組のサブ作家はほとんどの時間を拘束されているようなもの。その呪縛から解放され、僕は羽を伸ばしに伸ばしまくっていました。

 1週間のうち木曜の夜以外は全てが自由時間。家でテレビを見たり、漫画を読んだり、ゲームをしたり食うにも困らずノンストレスでした。
 そして、いよいよ暇を持て余し、僕はエロサイト(ホームページ)を作ろうと思い立ちました。

 この話は続きます。


放送作家 細田哲也 ウェブサイト

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