見出し画像

ハガキ職人から放送作家、そして。10

【放送作家7年目(28歳) 2008年】

 また別の会議では、違う意味で苦戦をしていました。それは深夜のテレビ番組で、総勢20人規模の会議。そこに、番組MCのタレントさんからの紹介という形で、僕が途中参加することになったのです。

 しかし、僕は完全に招かれざる客でした。

 MCがゴリ押しで新しい作家を連れてくるのは、現状のスタッフ(作家)に満足していないから? そう勘ぐられたのか、僕に対する風当たりはやけに強く

(新しい作家なんて要らないでしょ!)

 そんな空気はガンガンに感じました。

 この番組にはチーフ作家という立ち位置の人がおらず、僕を含めた5人の作家がそれぞれプレゼンをして、企画が通ればその人が台本を担当するというスタイル。いち早く1本でも企画を通して存在感を出さなければならない、僕はそういう立場でした。

 会議に参加して5回目。やっと僕の企画が通り、ディレクターさんとコンビを組んで1本(放送1回分の)台本を書かせていただきました。 

 その翌週のこと。僕はアシスタント・プロデューサーに呼ばれ、こう言われたのです。

「制作費が無いので、細田さんにはギャラをお支払いできません」

 さらに、「今後もずっと、ギャラが出ることはありません」とも言われました。何度会議に参加しようが、何本企画が通ろうがギャラは1円も出ないとハッキリ言われてしまったのです。

 一応、誤解のないように言っておきますが。通常、若手の作家が新しく番組に加わるときはそんなものです。まずはお試しで呼ばれて会議に加わり、企画出しをしていく中で、企画が1、2本通ったあたりでプロデューサーから正式に話をされます。そこで初めて、今後についてギャラなりエンドロールに名前を出す、出さないなどの確認がなされます(僕の場合は、ほとんどがそういう流れでした)。
 僕のようなフリーの放送作家と、事務所所属の作家では違いがあるかも知れませんが、使う側からすれば、最初はその作家がどんな奴かも知らないわけですし、(企画が通るなど)何らかの形で番組に貢献するようになってからギャラを支払いたい、というのは当然だとは思います。

 それにしても、「今後もギャラが出る見込みは、一切ない」とハッキリ言われたのは後にも先にも、この番組だけでした。

 本人の心持ち次第で、ギャラ以外に得られるものはいくらでもあります。経験や人脈、テレビ番組だったらノーギャラでもやりたいという若手の作家さんはたくさんいると思います。
 しかし当時の僕は、そう思うことが出来ませんでした。先のゴールデンの番組や他の番組に比べて、ここの会議はとても無気力に見えたことも理由の一つです。参加していても楽しくない、得るものがなかなか見つからない現場でした。

 ダメ押しで、「エンドロールにも、細田さんの名前は出せません」と言われたところで、僕は完全にモチベーションを失ってしまいました。

 では。何のために、僕はこの会議に参加しているのでしょうか? 

 それでも半年もの間、その会議に参加し続け、その後も何本か企画を通しましたが、やればやるだけ虚しくなるだけ。

 会議に参加したくない気持ちもあって、他の会議を優先して2週連続で会議を欠席すると、すぐにチーフ・プロデューサーからクビを宣告されました。

「会議、休んじゃダメじゃないですかー。他の会議と被っちゃいました?」

「はい、すみません」

「では、細田さんは卒業ということで…」

 やはり僕は招かれざる客だったのです。番組側もMCのタレントさんとの関係があり、MCさん紹介の作家を拒否することは出来ないが、受け入れたくはないという状況。
 求められていない場所で仕事をするのは、とても辛いことです。クビと言われて、僕は「よかった〜」と胸を撫で下ろしました。


 この頃、僕は渋谷区幡ヶ谷の2LDKのマンションに引っ越して、中野のキャバ嬢と同棲をしていました。その女性はかなりの浪費家で、当時は僕もお金に無頓着なところがありましたが、彼女の場合は度を超えていました。過剰なブランド志向で服やバッグをいくつ買わされたことか。常にタクシー移動で、毎日外食。高いお店にもよく連れて行かされました。
 薄っぺらい肉が3枚で5千円もするしゃぶしゃぶ屋さんや、二人でコースで6万円もする鉄板焼き屋など、高価なものだけに美味しいことは確かですが、僕はバカ舌なもので、お安い肉との違いはよく解りませんでした。

 ある日、僕がお持ち帰りの牛丼を食べていると、彼女は言いました。
「何でそんなゴミ、食べてるの?」

 僕がファストファッションの服を着ていると
「それって、●ー●●●が着る服でしょ」

と、ここにも書けないような言葉を連発する、今思えばヤバい女性でしたね。

 余談で、彼女は浪費癖だけではなく「スッピンを絶対に見せない」というヘンなこだわりもありました。同棲をしていた半年間、僕は彼女のスッピンを一度も見たことがありません。お風呂から出て来ても、ばっちりメイクをしてから出てくるし、寝起きでリビングにいるときは(スッピンを隠すために)サングラスにマスク姿で過ごしていました。冗談でマスクを外そうとすると、ガチギレされます。

 そんな彼女との生活はとても窮屈で、僕は仕事部屋と称して西新宿にもう一つ部屋を借りました。すると、「遊びたい」という気持ちが沸々と再燃し、中野や歌舞伎町へ遊びに出かけるようになりました。

 まさかの夜遊び、復活です。

 この話は続きます。


放送作家 細田哲也 ウェブサイト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?