私が携帯を買えないわけ

最近携帯を買うべきかひそかに悩んでまして。

で1982年生まれの私、携帯っていうものに生まれてこのかた縁がなかったわけです。
中学生のときはまだポケベルが主流だった世代ですけど、携帯持ってる子もぽつぽついて、高校生のときには携帯全盛期になってましたね。

今やiPhoneを3歳児とかが華麗に操ってるこの時代に
「今まで携帯持った事ないんだよね」っていうと、十中八九どころか十中十九びっくりされますね。
「なんで?」
「無理でしょ、それは」
「どうやって生活してるの?」
「住まいは洞窟なの?」とかね。いえ、住まいは山なんですけど。

1982年から現在の間に、携帯の進化も凄い事になってて、知らない間に携帯の一択からガラケーとかスマホとかアンドロイドとかポケモンみたいに名前で呼ばれるようになってたり、1円携帯とか10円携帯とか、うまい棒買うみたいに携帯を買える時代もあったはずなんですけど、うっかり全スルーした結果今に至るわけです。

最新のiPhoneではなんと顔認証なんつって、よく未来派映画に出てくる銀行破れるくらいのID認証が今この手に!って盛り上がってて、フェイスブックで顔が見分けられるならケツの穴も個別認識してくれるんじゃね?って実験してる人とか見たりしてね。ここまで人の好奇心をわきたてる最先端技術、凄いなあって。

ここまでくると、もう一生携帯は持たずに死ぬんじゃないかという予感があったんですけど、最近ちょっと考えてます。
だけど携帯って、自分の手に負えない感があって。手に負えない感が高校生のときから20年を経てまだ拭えない。正直、MacBook Proという自分の手に余りまくってる機器がすでにあるわけで。

まだ、携帯が新鮮な目をもってして迎えられてた高校の頃、
「また知らない番号から電話かかってきたんだけどーまじ迷惑電話うざい」
「ねー、○○ちゃんの番号って聞いた?」
「あー、まだ交換してないわ。っていうか、私の番号誰からもれてんの?」
「それは知らないけど、会話の流れで○○ちゃんの番号は××ちゃんが教えてるの聞いちゃった」
「何それ、本人に教えていいか確認してからにしろって話だよねー」
「ほんと、ありえないよねー」

…という携帯あるあるっぽい愚痴を聞いて、あ、これアレだ。
めんどくさいヤツだ。
と、その時認識しました。
幸か不幸か友達もほぼいないし、携帯なくても生きていけるし。ネットあるしメールあるし。家に留守電あるし。テレカ持ってるし。

なので「いい加減携帯もてや!!家に直接だと連絡し辛いんじゃ!」と友達から再三言われても「うんそのうちそのうち」って流し続けて、はや20年。

電波による健康被害とか、直接電話に耳を当てると脳を傷つけるとかいう話を聞くたびに「やっぱ持たなくていいや」と思ったり。

でも最近欲しいなと思うのは、外でタイピングできる機械があるといいなと思いはじめて。まあ一番の理由は写真が撮れるってことかな。
デジカメ、もってるけど重いから持ち歩かないし、ダウンロードする手間がめんどくさいと思い始めて。あと、お絵描きが出来ると最高ですね。
どこかにそういうの、ないですかね。

あ、電話?
うん電話は…いいかな。
絶対携帯が繋がらない子がいて、「ちょっと、携帯壊れてない?」って別の友達が聞いたら「あ、私の電話はかける専用だから!かける時以外電源切ってる」っていう子がいて。

そういうのだったらいいかな、と思ったけど別にかけたくもないって事に気がついた。
つまり、携帯電話みたいな何かが欲しいんだけど、ほしいのは携帯部分で電話はいらないっていう、そう言う事でした。

私は何が欲しいんだろう…。

とりあえず電話ではないかな、と思い始めてます。

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