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ぼくはどんな本を読んできたか

ぼくと本との最初の出会いは、記憶を辿ると小学校6年生の時だったように思う。クラスに喜多さんという女の子がいて彼女からの影響だったように思う。何でもよく知っていて感心することが多く、いわゆる感化を受けたのだろう。学校にある図書館に初めてふらっと入って書棚を眺めていて、確か「風の又三郎」や「十五少年漂流記」やリヴィングストンの「アフリカ探検記」などを題名から想像して選んで読んだのが、ぼくの本の出会いになった。それらを読むと何だか自分が一回り成長して偉くなったような気になった。これで喜多さんとも対等に口をきけるようになったと思ったみたいだ。

さて中学に入るとその当時は坊主頭に強制されて、何となく読書の習慣はなくなり図書館にはほとんど近寄らなくなった。一回入って雰囲気が暗くて嫌気がさした気がする。中学3年間は本と縁が切れてしまって、その代わりビートルズやローリング・ストーンズやオーティス・レディングなどの洋楽に夢中になった。読書習慣を取り戻すのは高校に受かってからだ。徐々に成績が上がって進学校に受かって、そこで目標達成してしまったかのように慢心してしまった。ぼくとしては勉強以外のことで何かを探していたのだと思う。その時本の世界は、友達の部屋の本棚の世界文学全集にあった。これを一冊ずつ「読破」することが目標になった。その当時のぼくのカバンの中には教科書より分厚い世界文学全集が一冊絶えず入っていた。

大学に入ると読む本が専門的になってくる。美大だったので初めて「美術手帖」や「季刊フィルム」や「遊」などの雑誌を読むようになった。どれだけ頭に入ったかは心許ないが、何が今の思潮なのかは漠然とつかもうとしていたように思う。それとマルクス関係の思想書を読むようになってからは、文学書も背伸びして埴谷雄高やランボーを無理して読んでいた。大学に入って「世界」にふれ、「現実」は対決する対象になった。この時、本は内発的なものではなく、外から要請されていたかも知れなかった。要請といっても興味がなければ読めないので、これも結果的には内発的だったといえる。

就職しても内発的な読書の時間は確保しようと努力はして、例えば辻邦生の「背教者ユリアヌス」や加賀乙彦の「湿原」や友人が読んでいた丸山健二はそのように読んだ。でもそんな抵抗はすぐに挫折して、仕事に関係するデザインやマーケティングの本を専門性をつけるために読み進んで行った。ある時ふと自分の人生が折り返す頃になって、本来の内発的な読書の習慣を取り戻そうと焦りを感じだして、高校の同級生二人と読書会を持つようになった。普通に本来読んでおく小説で読んでないものがかなりあることに気づき、夏目漱石や大江健三郎、川端康成、野間宏、大岡昇平、中上健次、安部公房、瀬戸内寂聴、海外文学ではヘミングウェイ、カミユ、サリンジャー、ジェームス・ジョイスなどを次々に読んでいった。あの頃は3人で一通り感想や解釈を喋りまくった後は飲み会になって、サラリーマン時代の楽しい思い出になった。今でもこの「読んでおくべき本」という切り口は、読書習慣をどう作るかという問題では力を失っていないようだ。

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