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ぼくが病んでいた頃

もう悲しくて苦しくて寂しかった孤独死寸前の時期を脱して何とか高校へ行っていた頃、多分必死で母はぼくを支えるのに大変だったと思う。どうしていいか分からず祖父に相談して大学病院の精神科で診てもらうのに付き添いをお願いしていた。しばらく精神安定剤を服用していた。ほんの少し意志すれば死ねるような気がしていた。母が作るご飯は食べていたのだろう。病むことは簡単だった。手当たり次第本を読んで、生活している日常の方を価値無きものに思い込むだけでよかった。よく分からない詩や哲学の形而上的な上昇に身を焦がすように憧れていた。ぼくの中にぼくだけが分かる神を住まわせていた。

学校に行くと不思議にぼくを見つめる少女がいて、突然自宅に電話がかかってきたことがあった。指定された時間と場所に行ってみると彼女はぼくを抱きかかえようとした。なすがままにじっとしていると彼女は諦めて帰っていった。ぼくには情がなかった。学校の図書室に通っていると斜視の不良っぽい医者の息子がオルグに近づいてきた。少しお話ししませんか、と。年下なのに何だか刑事のような雰囲気があった。

どうでもよかったぼくは、K大学の自治会室のような所へ連れて行かれて渡されたのは、シケイロスの鎖につながれた囚人が表紙に描かれた獄中闘争マニュアルだった。しばらく真面目に読んでみて流石に怖くなって彼らには寄り付かなくなっていった。アルコールがダメだったけれど酔ったお姉さんには抱きつかれて、女を泣かせるんじゃないよと絡まれた。その女性はその後ある党派のビラに権力のスパイと暴かれていた。そういえば妙にぼくの自宅まで来たがっていたなとその時になって思い出した。

あの頃は暴力的な環境だった。誰から教わるでもなく、目を遠くに凝らして歩くことを覚えたり、襲われた時の避難経路をシュミレーションしていた。何もなかったのはただ運が良かっただけかもしれない。今思うと自分にそんな時期があったとはとても思えない。まともに来れたのは母のおかげと善良な妻に恵まれたためだとつくづく思う。

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