見出し画像

読書オタクのチョイワルじじい

私小説は何処か知識人っぽい主人公の話ばかりで隔たりを感じていた。そこで企業小説や会社員小説の方に関心が向きだしている。身近かに感じる小説は感情移入がしやすいし、書く側に立って追創造することもできそうだ。それはかなりセミプロの領域に入るか、マニアックな趣味となって定年後の楽しみとして最適だ。マニアックなオタクというのも楽しそうだ。少なくとも既に一般大衆から個性的な人間になっている。個性的な人間というよりは面白人間というところだろう。テレビに出るコメンテーターや、ラジオに出るパーソナリティのように成れれば、一つの存在として社会的に認められる。読書家という存在もあるが、偉そうで気に入らない。読書オタクのチョイワルじじいというイメージがいいかもしれない。それをセルフイメージにしよう。今のぼくは多少知識人っぽいかもしれない。むずかしい哲学書や文芸評論が好きな感じを漂わせているかもしれない。それを辞めて背伸びせず、等身大を意識してみようと思う。自己イメージが自分を変えるキーになることは昔マーケティングでよく勉強していた。復習の意味で実践してみようと思う。


<4月5日以下を追記する>

何だかあの小説家とのトークで、自分が地域の文化人の端くれにデビューした気がするのである。また何と大袈裟なことをいうものかと君は呆れるだろうが、ぼくの最近の外に向かうウキウキした気分のその原因を辿っていくと、そうとしか思えない。ぼくは初めてお客さんのこちらの話を傾聴しようとしている顔を見た。あの会場で初めて接する同年輩の未知の友人たち。お客さんの目というものに生まれて初めて接したのだから、多少大袈裟になってもいいんじゃないか、、、そこで得たぼくの構えのこころ触りを覚えておこう。その構えのままこれから他者と接していこう。まずは読書会の仲間から。そして将来の地域の読書会仲間に、デビューした「読書オタクのチョイワルじじい」として。明日は読連協の総会だ。そこを自分の舞台だと考えよう。

それなら「読書オタクのチョイワルじじい」は、どんな小説を読んでいるのか?大江健三郎や村上春樹ではないよね。三島由紀夫でもないし、中上健次でもない。オタクはメジャーなものは敬遠するはずだ。渋いところで坂上弘や莫言や垣根涼介ってところか。イタロ・カルヴィーノやジュール・シュベルヴィエルや李良枝ってところかな。とにかくオタクっぽいのがいい。これから趣味の探求に出かける必要がありそうだ。ますます文学にハマるように、、、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?