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ニヒルな自分?

今から思うと、ぼくにもこれが最悪の時期だと思った時期が何度もあった。まるでどうやってそこから抜け出したのか、よくくぐり抜けられたものだと感心するくらいだ。まるで今のぼくの人格とは異なり完全な別人と思えるほど、ダメな男だったことがある。それを今になって思い出し点検してみようとすることに、後ろめたさもある。何となくナルシスティックな匂いがする。そこをできるだけ突き放して原理的に考察してみたい。フロイトやユングや中井久夫のような心理学概念を駆使して自己分析ができるわけではもちろんないが、ちょっとした真似事ぐらいはできるかもしれない。

今日最悪と思えた時期は独身の頃で20代も後半に入っていた。季節は晩秋で、弟が結婚が決まって山形で新しい生活を始めようとしていた。ぼくはといえば、その頃が独身で彼女のいない一番つらい時期だった気がする。特に何もすることのない日曜日が辛かった。その時期、大島渚の「愛のコリーダ」という映画が流行っていて、同名のクインシー・ジョーンズのライトなジャズ曲をよく聴いていた。テンポのいいクールな曲なのだが、その曲を聴くと今でももの悲しくなるのだ。8時間ほどかけて車で金沢から山形までほとんどノンストップで、まるで耐久レースのような感覚でドライブしたのだった。その頃は何か自分を肉体的にも辛くさせないと、精神的に持たないような感覚があった気がする。Aにふられてからずっと彼女ができなかった。自分に自信がないことで、悪い方向だとわかっていても落ち込んでいくのを止められなかった。今から思うと、Aにふられるようなことを自分から進んでやったような気がする。新しく彼女ができそうな客観的な場面があっても、自ら機会を壊していたと思えることもあった。あの感覚というか、感情は何だったのだろうか?今の自分につながる温かい人格とは違う、ニヒルな人格があの頃はあったと思える。それがカッコイイことのようにして自分に酔っていたのだ。

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