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黒い雨を追体験する

広島に人類最初の原爆が投下されました。これは私だけに起こった特殊なことでほとんど無価値なことだろうと思いながらも、誰かが読んでくれることを前提に書いてみます。日本人の誰もが被爆の悲惨さから、戦争はもうこりごりと感じていると私は思っています。しかし長く平和が続くと戦争のリアルさは感じられなくなります。もう自分には関係がなく、暗くて重い現実には触れないようにしたいと思ってる人もいると思います。我が家でもほとんど話題には上がりませんでした。しかし私の親世代は戦争を経験しているのです。その事実が子供の頃は認められませんでした。いや高校や大学に入っても戦争を考える機会がないままでした。学校の歴史の授業で触れているはずなのにどこか他人事だし、過ぎてしまったことだから今更どうにもならないというような感じがしていたのだと思います。

私の叔父さんは特攻隊に憧れて金沢から広島に行って、被爆しています。8月6日のその時は原子爆弾というものが当然分からず、超大型の爆弾で戦争だからやられても仕方がないという、受け止めだったようです。その時刻は軍事教練中で、整列していた斜め後ろの人の影にすっぽりはまって叔父さんは奇跡的に助かったのです。その話を聞いた時はそんなこともあるのかと思いました。叔父さんの話は、私が戦争に向き合おうとある時決めてから、叔父さんの家に行って聞き出したのです。どうしてそう思ったのか、それは井伏鱒二の「黒い雨」を読んだからです。「黒い雨」という小説は確か高校の時に知ってはいましたが、怖くて手が出ずにずっときていました。読んだのはサラリーマンになってからで、それも社長の一言から引きこもりになってからの「空白」の時間があったからでした。流石にもう怖いなどと言っていられないと覚悟を決めて読み始めました。

私は被爆者の一人になることができました。あの悲惨な地獄絵の中を歩く一人の「中」に入ることができました。ただもう歩くしかないという、生死の瀬戸際の苦悶に同化できました。確かに地獄なのですが、どこかで諦めの境地が心地いい気もするのです。自分一人ではないことが救いのような、全てから解き放たれていく感じが読み取れた気がしました。

「黒い雨」を追体験した一方、原爆投下を実行したアメリカに対して、戦後の日本人があまり怒りを持っていないことが不思議に思えました。戦争に負けたとはいえ、原爆投下が許されるはずがありません。あってはならないことが起きてしまったのです。原爆投下だけではなく、アウシュビッツも同じだということもできるでしょう。ただドイツやユダヤ人の場合と日本人の場合は違います。私が日本人だからです。人類史の悲惨さの規模からして、死者の数からするとヒトラーとスターリンが最も卑劣で、極悪人だと私は思っているけれども、トルーマンも極悪さに引けを取らないし、大いに暴かれるべきと思っています。

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