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金沢のジャズ喫茶

昔、金沢の竪町通りに「きゃすぺ」というジャズ喫茶があった。ぼくは高校生の頃から行っていて、サラリーマンになってしばらくして店はなくなっていたから、10年くらいは通っていたことになる。小さな店だったが、居心地は良かった。5年ほど前、吉祥寺にある「サムタイム」という店に連れて行ってもらったことがあって、その時の客はどこにも見かける元気のいいおばさんグループだった。ぼくが通っていた頃の「きゃすぺ」には内向的でスノッブな、幾分疲れた風の青年がたむろする場所だった。アイルランドではジョイスのもう手垢の染み付いた「ユリシーズ」を運転席に忍ばせて働く、タクシー運転手がいるとどこかで読んだ記憶があるが、その頃の金沢にもどこか文学的な雰囲気を漂わせる場所があった。デビューする前の文学修行の場として金沢を選んだ、高名な直木賞作家もいたくらいだった。高校生の時、デートに犀川を見降ろせる画廊喫茶をわざわざ選んだこともあった。その頃、大江健三郎の過激な小説を背伸びして読み合わせして、彼女とちょっとした政治談義をすることがカッコよかった時代だった。ぼくらの少し上の世代が「赤頭巾ちゃん気を付けて」を読んで青春を送っていたのが、どこかで繋がってマセた高校生を作っていたのかもしれない。とにかくそんな時代の雰囲気というものは、街や店と共にあった。残念ながら今はそんな贅沢な雰囲気は消えてしまっている。だが、心の中のどこかには沈殿していてふと発酵してくることがある。その時、ぼくはどこかに「篭りたく」なるのだった。

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