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ヘーゲル読みの入り口

ぼくがヘーゲル哲学を学びたいと思わせた本は「ヘーゲル『精神現象学』入門」で、著者は加藤尚武である。いやより正確に言うと、その本でヘーゲルの弁証法が分かったような気になったというのが近い。加藤尚武の解説が全て理解できたというわけではないものの、ヘーゲルの哲学の方法論がつかめた気がした。それは自己意識を実体(生きていてあらゆるものの土台を作る)としたことで、自己意識は自分の自己意識と同じで、読んで理解できればヘーゲルの絶対知まで認識できる、と思えたからだ。その絶対知はそれまでの西洋哲学の到達点とキリスト教とギリシャ以来のヨーロッパの教養を吸収したものになり、一つの哲学書で西洋文化が分かる内容を持っていると。ぼくにとっては特に教養という文化貯蔵庫を手に入れる魅力があった。ちょうど源氏物語が日本文化の貯蔵庫であるように、西洋ではヘーゲルの「精神現象学」なのだ。

実際の『精神現象学』の翻訳書は加藤尚武からは出ていなかったので、図書館から金子武蔵訳の「精神の現象学」と長谷川宏訳の「精神現象学」を借りて少し読んでみた後、牧野紀之訳の「精神の現象学第二版」を読んでこちらの本を継続して読むことに決めた。その後、研究書として竹田青嗣の「人間的自由の条件」を半分ほど読んで、ヘーゲルから学ぶことがどうしても自分には必要であると思えた。竹田青嗣の本は、サラリーマン時代に社長からのパワハラで脱落しかけた時に「自分を知るための哲学入門」を読んで救われた経緯があり、ヘーゲルでも同じように導かれたという縁を感じる。竹田青嗣はフッサール現象学で哲学が分かるようになったということで知られているが、それよりもヘーゲルから決定的に学んでいることが、「人間的自由の条件」から分かる。彼がフーコーすら批判できているのは、ヘーゲルの「絶対精神」を深く認識できているからだ。ついでに言えば、マルクスさえヘーゲル左派から出発しているものの、ヘーゲルの「道徳的自己意識」をつかみ損なっていると批判している。このような批判の立場が持てたのは、実は柄谷行人の「トランス・クリティーク」の方法から影響されているとぼくは推測している。

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