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「さらばモスクワ愚連隊」を読む

五木寛之のデビュー作「さらばモスクワ愚連隊」を読む。角川文庫昭和54年版をいつ頃買ってあったのか、もう文庫の紙は相当色褪せていた。それを最近岩波新書「蓮如」を図書館で借りて読んでから、そういえば五木寛之の本があったと思い出して「初めて」読んだのだった。五木寛之といえば我が金沢とはかなり縁がある人だ。奥さんとなった人は、金沢市長ともなった岡病院院長の娘で、岡病院はぼくの本籍である家から500メートルしか離れていないところにあった。金沢にしばらく住んでいたこともあり、旧美大の近くの赤煉瓦塀の刑務所近くにその家があり、通学で通い慣れた所だった。また五木寛之が通った有名な喫茶店「ローレンス」店主の娘は美大油画科卒で、ぼくと専攻は違うが同窓生だ。それに金沢の尾張町には五木寛之文庫がある。このように何かと馴染みの作家だから当然読んでいておかしくないというか、読むべき作家なのだがこれまで読む気になれないでいた。五木寛之は純文学ではなくエンターテインメントの人で、ぼくにはずっと優先順位が下の方にあった。それでも公民館の読書会に入ってからは純文学からどんどん遠ざかって、エンターテインメント小説も読むようになった。

そういう前置きはどうでもいいことで長すぎた。読んでみると面白かった。デビュー作は若く溌剌としたエネルギーが感じられる。何となく「赤ずきんちゃん気をつけて」の庄司薫や、「深夜特急」の沢木耕太郎を読んだ時の感覚を思い起こした。この作品の主人公はジャズピアニストだったが、自分のバンドが売れ出してブルース以外の曲を何でもやるようになってからブルースプレイヤーから身を引くようになる。モスクワで日本のジャズバンドの興行をやるために文化担当部長のようなロシア当局者から、ジャズは娯楽音楽と言われ激しく抗議する場面がある。その当局者が打合せ場所にたまたまあったピアノでショパンを弾いてこれが芸術だというと、彼はビリーホリデイのStrange Fruitの主要部を弾いてこれが芸術だと示した。するとそのロシア当局者の男も目に涙を浮かべたのだった。ぼくは恥ずかしながらビリーホリデイのStrange Fruitを聴いたことがなかった。すぐにYoutubeで聴いてみると確かに魂の曲で歌詞がすごかった。黒人の血で赤い果実が成るのだった。

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