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Lack is power

人間は欠乏を何かで満たそうと欲望する。私も若い頃は何もない毎日を送っていて、満たされていなかった。食べるものや住むところはまずまず満たされてはいた。希望と呼べるものがなかった。何になりたいか将来に目標となるものがなかった。孤独で平穏ではあったが、寂しかった。今日のように天気のいい日に、犀川の川べりの芝生に寝転がって自分の将来を想ってみたが何も浮かんで来なかった。風が気持ちよかったが想像力はそれに乗って羽ばたかなかった。親しい人や尊敬する人や憧れの人などはまだ知り得なかった。身の回りの大体が所属する人々から疎外されて、なんとはなしに一人になっていた。きっと文学にのめり込み過ぎたからだろう。しかし文学好きな人々からも疎外されていた、田舎もんだった。そうだ、これが私だった。誰からも見放されていた大きな「欠乏」だった。だからこそ、大きな欲望が必要だった。そこで気づけばよかったのだ。大きな人間になれると。

高校3年生の春休み、もう大学受験も終わってほとんどの同級生は空いた時間を旅行に充てていた頃、ぼくは大学には進学せず廃品回収などをして将来映画監督になると言っていた同級生と並んで空を見ていた。それは金沢の高尾台の小高い丘に登った草むらに寝転がって見ていた空だった。彼はその当時観た、パゾリーニ監督の「アポロンの地獄」について熱心に語っていた。大学に行かない選択がその頃、ラディカルだと錯覚するような時代だった。あれから彼に会っていないが、夢を果たしたのか。今まで映画監督の名前に彼の名前を見ることはなかった。「欠乏」と「大きな夢」は一つのaspectの表と裏のような気がする。それはどれだけ強い欲望を持つかによって条件づけられる。

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