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同郷の小説家の本を読んでみる

金沢市出身の現役の小説家に、唯川恵さんがいる。ぼくより二つ年下の68歳になる。金沢女子短期大学を卒業して、地元の銀行に就職して10年間OLとしての生活がある。Wikipediaには、「29歳の時に『海色の午後』で集英社第3回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビューする」とある。コバルト・ノベル大賞とは、「1983年から集英社が主催している公募文学賞。」であり、「同社のライトノベル系文芸誌『Cobalt』及びコバルト文庫とその姉妹ライト文芸レーベル集英社オレンジ文庫の読者を対象とした作品を募集している。」ということだ。

10年間OLとして働いていたが、社内恋愛して結婚するという普通のコースを辿らず、続けていた日記の延長で、30歳を前にライトノベルの公募に応募して見事に大賞を受賞し、東京に出て作家という道に進んだ。就職先に銀行を選び、公募小説ジャンルをライトノベルにしているところに、堅実さが窺われる、というか自分の実力をちゃんと知っている感じがする。このような人はあまり失敗せず、大きな挫折を味わうようなことにはならない気がする。でも小説家を目指して応募したわけだから、平凡な、大人しいだけの人生に満足しなかったことだけは確かだと思う。だとしたら、書くことで堅実な自分を解放するすべを見つけたに違いない。自分の書く小説の世界に自由に羽ばたく方法を身につけたのだ。彼女の選んだジャンルはもちろん恋愛小説だ。それが自然に願望を延長させる世界だからだ。それも自分と同じ世代が読者で、しかも出版社が作家を育てようと設置した公募「ノベル大賞」で、それは決して登竜門としての文学賞ではなかった。

唯川恵が著名な文学賞をとったのは46歳になってからで、直木賞だった。これで名実ともに作家となった。文学の世界で作家の仲間入りしたのは、若くして才能を認められた作家の前では後発とならざるを得なかった。それを本人はどう感じているのだろうか?ひょっとしたら、直木賞受賞は作家としての出発点というよりは、彼女にとってそれまでの恋愛小説の終着点かもしれない。「淳子のてっぺん」を書くまでは、少し自分の立ち位置で悩んだ形跡があった。東京から軽井沢に転居もしている。実在する田部井淳子をモデルにして、自らも登山を始め、かなり詳細な登山専門用語を使ってリアリズム小説を書いた。ぼくが読んだのはこの小説だった。読書の一方の醍醐味は追体験だが、それは十分に満たされた。だがもう一方の魂に触れる醍醐味には一歩物足りなさが残った。

以前読書会の例会の時、「淳子のてっぺん」を課題本に取り上げたことがあった。唯川恵は軽くて読まないという古参メンバー二人がいたが、この本は読んで高評価をしていた。ただその評価も主人公の田部井淳子モデルの淳子の人間性や夫との夫婦愛の素晴らしさに対してであって、小説そのものの出来を評価するものではなかった。小説としての出来も決して悪いというのでなく、むしろ一気に読んだという人が3人いて、長編を感じさせない書きっぷりで成功していると思う。物足りないのではなく感動もする。なのに純文学ではない。あえて言えば芸術的な味わいは感じられない。芸術的な感受とは、ほろ苦さとか切なさとか哀愁とか、どうしようもない不条理に対する怒りや諦観とか、魂の底からの叫びなどである。

「淳子のてっぺん」には挑戦があり、登山での不慮の死はあっても怒りに結びつかず、成功へのあらゆる判断や行動には一つ一つに意味がある。つまり最終的にはうまく行くので、その世界は教育的で健全なものだ。その健全さが逆に芸術からは遠ざかるのだろうか?多分うまく行ってはいけないのだ、純文学という範疇では。うまく行ってしまったら、文学の方まで普通は向かわないのかもしれない。一度や二度の挫折など当たり前で、挑戦して一歩でも前に進むのが淳子の人生で、それは登山という世界に出会って得られた幸福である。だとしたら、純文学によって達成される幸福のカタチはないのだろうか?小説という言語芸術によってしか到達できない「幸福」というものがあるのではないだろうか?そういう領域に敢えて向かうのが、純文学なのかもしれない。

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