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[自分史] 並んで歩いた確かな実在感

あの頃を思い出すと、よく金沢の路地のあちこちを並んで歩いていたことがあった。いつもどうしてか曇天の日が多かった。雨の日もあってその時は二人で傘の中にいた。何を話したかは思い出せない。その少女の友達がぼくの知っている男のことが気がかりで、適当な距離感を持って相談事に応じていたような感じがかすかにする。

あれは美大受験のためのデッサン教室に通っていた頃だ。今思えば、十数人が小さな円卓の上のガラスビンや布巾や果物を二、三時間ぶっ通して、黙々とデッサンしている時空間は貴重なものに思える。正確な計測と立体を写し取り、素材のテクスチャーを描き分け、陰影の強弱をつけて描く作業は何か神聖な感じさえする。その間は沈黙が支配するからだろうか。あの禁欲的な時間がきっと精神を鍛えるようなところがあると思う。

ぼくはデッサンにのめり込むほどではなかった。才能がある奴は楽しそうに淀みなくデッサンが進んでいた。ぼくは受験のためにデッサンしていたと思う。美大に受かって以来、石膏デッサンは授業でやったがあの時の鉛筆デッサンは一度もやらなかった。やはり才能がなかったということだろう。でもあの集中していた時間だけは今も経験のなかの一つの実在としてある。そしてぼくの人生の中で何人かの人と、二人並んでただ歩いていた時の集中した時間の数々も、確かな実在感(空気感)を持ってぼくの経験の中にある。

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