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帰りの空

「みてみて奏太!富士山だよ富士山!」

Zzz…

「も〜、せっかく綺麗なのに」

窓際のからの寝息をかき消すかの様にシャッターの音が機内にこだまする。

私も負けじと特等席で寝ている奏太の顔を横目に、そそくさとスマホを取り出す。

カシャッ!

「う、うーん?また盗撮かよナギ」

どうやらシャッターの音は私の声よりも彼に響いたらしい。

「残念ながら今回は違います〜」

「そんなことよりほら、富士山だよ!」

「ん?あー…ほんとだ」

「もー、いくら帰りだからってテンション低すぎだよ」

「そうだ、来年は富士山登ろうよ!今年のリベンジで!」

「…」

言葉が返ってこない。怒らせてしまったのだろうか。

「ナギ」

いつになく真剣な顔をする奏太の迫力に言葉を失う。

「辛かったね」

奏太の温かい手が、きょとんとした私の頭を撫でる。

「ナギはお義母さんに似て優しいから。心配かけないように明るく振舞っているんだよね」

思いがけない言葉に、返す言葉が出てこない。

それでも何か言わないと、また心配させてしまう。

「そんなことないよ。私はただ…」

途中で声が震える。どうしてだろう。

「お義父さんが改めて教えてくれた」

心の隙間から涙が溢れる。

お父さんのせいだ。

いつも自分からは何も言わないくせに。

不安。今まで経験したことのない途方もなく広がる不安。

お父さんから知らせを受けて飛んで来たけど、私に出来ることなんてあまりにも少ない。

仕事を早退して、奏太との旅行を中止して。

やっとの思いで会えたお母さんは、私の知る姿よりずっと弱々しく見えた。

それでも笑顔を作って、大丈夫だと。

筆談で答えるその姿を見て、不安な姿を見せられないと無意識に気張っていたのかもしれない。

「去年はあんなに元気に山登りしてたのに」

「うん」

「今度はもっと高い山に登るって約束してたのに」

「うん」

富士山はあっという間に視界から消えて、雲の海が広がる。

次第に赤みを帯びて、悲しみが温もりに変わる頃。

夕焼け空に新しい目標を掲げる。

「みんなで一緒に富士山に登る」

いつになるかわからない。

それでも願い続けることに意味がある。

今は、そう思える。

明日からまた日常が始まる。

しかも、急遽帰省した私にとっては激務が待っていることだろう。

それでも頑張れる。

明日が見えなくても、不安でも。

私を包む優しさが、勇気をくれる。

家に着いてから読んだお母さんからの手紙には、

『ありがとう』と『富士山の絵』が滲んだインクで記されていた。