仙界伝封神演義
ジャンプの超絶おもしろ漫画、封神演義は2回アニメ化しています。『仙界伝』は初代アニメのほうです。話題にすれば「黒歴史」だの「アニメ化なんてしていない」だの、いろいろ言われることもありますが、私は好きです。
ストーリーもキャラクターも原作と変わっているので、あのアニメは無いわ~という否定派に対して「何が気に入らねえんだ…?」と責めるわけじゃありません。受け入れられない人も一定数いて当然だと思います。というか正直、私も作画やキャラ変更が理由で脱落しかけたクチなので、気持ちはわかるというか…。
でも作品の好き嫌いって0か100かで判断するものでもないので、総合的に見て、私は好きです。ストーリーにも作画にもキャラ変にも、良いところがいっぱい内包されてるから。
時は1999年、土曜朝7時からという良い子向けアニメ
私はリアタイ勢ですが、当時は第1・第3土曜に学校があったため7時には家を出なければなりませんでした。「アニメを見る」「学校も行く」両方やらなくっちゃならないってのが、小学生のつらいところだな…。
こういう放送枠だし、登場人物が記号的に個性が強めになっているのも相まって、なんとなく対象年齢を下げてライトなお話にするのかなという印象をもって見てました。特に太公望はアホ道士モードのおふざけ度が高め。(後々楊戩が「でも裏ではちゃんと考えてますよね?」みたいなフォローをしてくれるようにはなる)
でも少し話が進むと、寝起きの頭で視聴する話じゃなくなってくる…グロ控えめとはいえ命のやりとりも多いですし。原作であえて軽めにしてあるシーンがシリアスに描かれるもあります。紂王さまが賈氏を追いかけるシーンとかめちゃくちゃ怖いよ!伯邑考が捕まる理由も、朝アニメでやることじゃねえよ!
ストーリーは大ざっぱにいうと『太公望が仲間たちと妲己を倒す』なので、だいぶコンパクトにはなっています。進撃の巨人でいうと『エレンが超大型巨人を倒す』みたいな感じなので、コンパクトというより全然違う話なんですけど…。宇宙まで戦いに行かないし…。
ただ、アニメで描かれる世界観のスケールは小さくなっても、国の盛衰、仲間や家族の絆、キャラクターの心の機微なんかは丁寧に描かれていると思います。ストーリーが短くなったぶん、登場人物の数も当然絞り込まれてはいますが、みんな人となりが分かるエピソードがちゃんとあります。
太公望も普段のキャラがちょっと軽めですが、なんとか犠牲を出さずに事を運ぼうとしていることろとか、人間界をすごく大事にしてるところとか、そいう根っこのところは原作と同じなんですよね…最終回付近の回想で、太公望が仙人界を抜け出してただ人間たちが暮らしている中をブラブラしてるシーンがありますが、原作の太公望も本当にこんな感じだよなと思います。
もちろん貴人ちゃんVS太公望とかアニメで見たかったな~~~とか、最後の妲己ちゃんの扱いそりゃねえよな~~~とか言い出したらキリがないんですけど、それはもう原作を読めばいいいか…ということで私の中では落ち着きました。
逆に原作にない部分で、姫昌さまと伯邑考の親子関係、姫昌さまの人望の厚さ、名君だった紂王、紂王と殷郊/殷洪の話など人間界サイドにはかなり尺をとって説明している印象です。このあたりの、話を動かす人物へ感情移入させるのがめちゃくちゃうまくて…朝7時から涙が出てしまうね…。
あとキャスティング、これも好みがあると思いますが…私にはあまりに理想通りでした。太乙真人は絶対にアシュトン(阪口大助さん)がいいと言っていたら現実になって腰を抜かしました。往診に来てくれよな。
太公望のギャグとシリアスの使い分け、スープ―の人懐っこい声、哪吒の無感情ボイス、雷震子の熱血アドリブ、天化のガテン系アンチャン声、楊戩の落ち着き払ったイケボ。出番は多くないですが周公旦まで理想通りです。黒麒麟、ちゃんと原作のフォント通りの声がする(?)。音響監督の千葉繁さんに感謝…圧倒的感謝…!
このキャスティングがあったから、CDドラマもゲームも楽しめました。今も楽しいです。この辺についても色々思い入れがあるのでいつか書いておきたいな。
いいアニメ化って何だろう。原作に忠実なことか、絵がきれいなことか、よく動くことか、アニオリで原作補完されていることか…基準は見る人それぞれだと思います。
私にとっては、キャラクターが一貫した意志のもとに生きている(もしくは死ぬ)ことです。原作と生きている世界や性格が違ったとしても、納得させてくれるような芯の強さを求めているんだと思います。仙界伝封神演義ではそういうキャラクターに出会うことができました。一生懸命生きる人たちのストーリーに触れることができました。
なので私はこのアニメが好きです。
これまで20年も、この先もずっと。
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