裕福と幸せは関係ない

性格診断をして思ったことがあります。
それにしてもその性格診断は非常に正確すぎてちょっとゾクゾクしてしまいました。

2022/11/15の僕は提唱者型。
有名な人でいうとネルソンマンデラ、キング牧師らしい。
たしかに。そういう人の映画とか本とかよく読んでる。。。
ノーベル平和賞のスピーチとか。。
青年海外協力隊の体験記とか。。

最近は世界一貧しい大統領の本を読んだ。

こんな文章があった。
“貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ”

グッときた。
今ある幸せを感じられない人は、
初任給もらった!うれしい!もっとほしい!
→お金お金お金
車買った!うれしい!もっと高級なの乗りたい!→お金お金お金
彼女できた!うれしい!もっと良い人と付き合いたい!
→お金お金お金(お金なのかはわからんが文型整えるためにそういうことにしといてほしい)
どんどんアップグレードしなければいけない。
つまり労働が増え自分のやりたいことにささげる時間が減る。
わたしは全ての人間も生き物も最低限の暮らしを営めたり夢に挑戦できるようにしたいとは思うが、当の本人たちがそういう願いがあったり先進国のような暮らしをしたいと思っているとは限らない。
勝手に幸せの価値観を押し付けてはならない。
人それぞれ幸せがある。
家族の愛があって水があって食べ物も最低限あって排泄もできる。
それだけで幸せな人もいる。
そんな人たちにオール電化の風が一切入らない家を売ったらどうなる?
親が稼ぎにでて家族といる時間が減っても幸せなのか?
稼がなきゃいけなくしてもいいのか?
車は便利で幸せになれるよと売ってもいいのか?
経済的に豊かな人の中には、
このブランドのバッグじゃなきゃいやだ。
水道水なんていやだ。
大衆居酒屋とかむりむり。
なんていう人もいる。
まあ自分もそういう時はないわけではない。
人それぞれ幸せを感じるところが違う。
けどアップグレードしなければ幸せを感じられない、そんな貧乏な心があるだろうかと思う。
いまの世界はとにかく消費社会。
消費をひたすら早く多くする必要がある。
切れない電球を作ってはいけない。
消費が減って経済が回らないから。
もっと売るためにもっと人々に雇用をあたえるために使い捨ての社会ができあがってきた。
ブランド物を買うために、もっともっと便利に不自由なく暮らすために、どんどん働かねばならず、好きなことに費やす時間、人間関係を築く時間、冒険をする時間などの生きる時間が減る。
そう考えるとホセムヒカ大統領の言う、
“貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ”
は、個人的にはとても心にフィットするような一文となった。

話は性格診断にもどるが提唱者の特徴として
“人助けを人生の目標とし、救済活動に従事したり、慈善活動を行ったりしていますが、提唱者型の人達が、こうした活動を通じて真に情熱を注いでいるのは、問題の核心に迫り、人々を救済する必要が全くない環境を築き上げることなのです。”
と書かれていた。
まさにその通りだ。
だが人を救うにしてもその地に住む人たちの価値観で救済したい。
だからわたしは最低限命を落として嬉しい人はいないから命を落とす可能性を減らしたい。
防げるはずの事故を防ぐ。
たとえば先進国では起こりづらいような事故で死ぬ人がいる。
災害、橋が崩れて死ぬ、食べ物がなくて死ぬ、水が汚くて死ぬ、などなど
橋が崩れて死ぬなんてどっかの先進国の専門家がみれば崩れる前に、「こんな設計じゃ崩れるよ」といえば失う命をも少なくなると思う。
知っていれば防げだ事故を防ぐ。
頭のいい人が世界中のことを管理するのはむずかしい。
だから子供たちが教育をうけることってその国が自分たちのことは自分たちで守り生きるために大切なんだと思う。
平等によりも公平を求めて生きたい。
野良犬に飯と家を与えられる人でいたい。

医療ドラマも好き。
ドクターコトーとか医龍とかコードブルーとか
ブランドと権威とメンツと体裁で成り立ってる医局に居ながら、目の前に苦しんでる患者がいるから助ける。寝る間も惜しまず、助けるためには法を犯し免許が剥奪されることも厭わず助けることを選ぶ。

夕飯が冷めるのでここまでにする。

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