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走馬灯の如く人生を振り返って

SNSで同年の55歳で面識ある方が亡くなったをきっかけに、40代で亡くなった方の記事を見たりとしました。40、50代は亡くなりやすい世代ともありました、

戦国時代なら人生50年ですが、今朝起きた時に腎臓部分に痛みがありトイレを済ましても治まらず無事帰宅出来るかなと思ったりしました。

それと同時に結婚式のメモリアルビデオではないですが、それまで人生が浮かんで来ました。


社会人で初めて地元から離れたこと

18の時に初めて地元名古屋から離れて千葉県我孫子市の親会社へ新入社員教育で同期入社2人と先輩上司こ車で単身出張したこと。

仙台、横浜と巡ってそこで先輩に連れられて夜な夜なスナックに行ったことやある日曜日に樹氷を飲み過ぎて意識不明になってぶっ倒れたことがきっかけで酒が駄目になりました。

我孫子でろう者と出会ったこと

我孫子の工場でろう者と出会った事がきっかけで社内手話勉強会に参加して福祉ボランティアにはまりました。

勉強会のメンバーと一緒に富士山に登ったり、全国手話通訳研究会全国集会で北海道に行って難聴者が孤独な事を知り出会った人に片思いの初恋をしたり工場の子に告白してふられたりしました。

20代半ば授産施設職員になったこと

地元名古屋に戻って実家の北区の手話サークルで岡泉さん、小松さん、坂上さんと出会う事で人生が変わりました。岡さんは30代で亡くなりましたが大晦日に自主手話サークルのチラシを作った事は思い出深いです。

岡さんから授産施設施設の職員募集を知り後先考えずに転職して、そこがわっぱの会が共生共働を目的に作った場でした。わっぱの会の本当の趣旨が理解出来ずに目先のパン作りに馴染めずに1年ちょっとで退職しました。

その20年ちょと後にそこの施設長からの電話がきっかけで50歳になって再びわっぱの会に関わり訪問介護で働きましたが、結果的に5年後に退職しましたがそんなことなど夢にも思いませんでした。

30歳頃に職種を変えました

それまでは電話機器修理•工事•メンテナンスの仕事から結婚を機に建設業の現場管理で全国を転々とする生活に変わりました。

当初は「電子交換機」や「施工管理」の言葉も知らないまま入社して分かりました(^-^)

官公庁の施工管理で泣きながら社に戻った

当時は新人研修などなく現場で仕事を覚えるスタイルでした。手書きからワープロに切り替る頃で名古屋から岐阜の建設省(現国土交通省)に担当者として何も知らずに単身打合せ行きました。

その結果は何かと叱られり難問を言われたりして帰り道は泣きながら車の運転をしていた事を懐かしく思えました。

日本セラピスト支援協会と出会って

協会を知った時は何の資格も無くセッションも出来ませんでたが、協会に問合せると入会は大丈夫で即入会しました。

EFTに興味があったのですが東京と大阪しか開催されて居らずに受講したいと思いつつそのままでした。ある時に関東方面の出張が急転して大阪出張になったのをきっかけに念願だったEFTレベル1.2をちゅんさん、もっちゃんから受講出来ました。

大阪出張中には大阪特有の土地柄や反民反官の発注者の慣れない仕事でストレスMAXでちゅんさんに無料相談に乗って頂いた事もあり、名古屋の安田さんが主催されるEFT勉強会で数回お会いして練習会帰りにお茶を飲んだりセラピーイベントに同行したりしました。

セントレアで2度のセラピーイベントに参加

日本セラピスト支援協会主催の中部国際空港を会場とするイベントに2回もお手伝いをさせて頂き参加されたセラピストさんと感動の打ち上げを味わいました。

虹の和リリアンとの出会いと別れ

ブログで稲田佳世さんを知ってどうしても会いたくて仕方無くで、訪ねた先が意外と近くのいつもよく行く栄にあった虹の和リリアンで副代表をしていました。

そこで浅井ゆり先生やその他に色々なメンバーと出会いました。同時期に秦由佳さんのブログがとても印象に残って気になっていてリリアンの関係者と知って合わせびっくりしました。潜在数秘術協会の代表でされている事を知りました。

その後の2020年に稲田佳代さんとはアイアイアソシエイツの名古屋集会で再会して、浅井ゆり先生とは念願の自宅セッションがを受けられました。

虹の和リリアンの拠点は栄から移りましたが当時メンバーである大塚貴子さんとは自宅近くの喫茶店で何度かタロットカードセッションを受けたり大塚さんから紹介頂いた富田耀心さんとネット経由ながら今も懇親があります。

大阪でのセラピー三昧と退職場面のリフレイン

大阪ではEFTレベル1.2を封切りに潤沢な出張手当でセラピーの資格を取りまくった思い出や.それまでは幾度とあった退職場面も思い浮かびました。同時に仕事の合間に行って楽しかったボランティア活動も懐かしく思い出されました。

仕事を終えて帰宅途中

気がつくと職場では何かとバタバタして小さなトラブルもありましたが、これまで多発した事故報告書レベルの事は無く無事仕事を終えて帰りがけにコメダ珈琲店で一息入れてから帰宅しました。

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死を見つめる事は生を見つめる事

人は生身ですのでいつ何があるか分かりません、戦国時代ほどではありませんが一服のお茶を同席した人が明日会える保証は何処にもありません。

知的障害者の介護をしている時に40代の方々で「また明日」と別れた人が翌朝亡くなったり、骨折で念のため検査入院した方が急変して帰らぬ人になったりと悲しい経験がありました。

障害のために言葉が話せずに痛みを伝える事が出来にくい方々で特別な例かも知れません、バリバリ働いていたサラリーマンがお会いした1ヶ月後には亡くなり二度と会えなくなったことも経験しました。

毎日会う方とはなかなか難しいかも知れませんが親しい人ほど「一期一会」で接して何があっても悔いを残さない生き方が出来ればと思っています。

この記事を書いている時に心に浮かんだメロディ♪


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