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不思議な流れに乗った人間ウォッチング好きの私の徒然日記


現状と何か不思議な流れが

今の仕事

現時点で訪問介護を行なっています、訪問介護と言っても高齢者向けに1日数件の訪問ではなく障害者支援なので1日1件か多くて2件です。

今後は分かりませんが平日11(10)〜21時まで1日10(11)時間勤務なので10時間✖️4日=40時間=8時間勤務✖️5日なので「週3日勤務」でクリアするので週休3日です。

利用者さん宅まで90分以上かかるものの11時開始なので8時過ぎ出勤で楽に感じています。

自家用車は無いので公共機関で利用者さん宅に通っています。障害者も含めて訪問介護は自家用が必要不可欠と思い興味を持ちませんでした。

介護会社の代表と不思議な縁で出会い理念に共感して面接まで色々とあり自家用無しで断られるかと思っての応募でしたが採用になりました。

現在は条件に自家用が必要だったりしますが当時は事業拡大期で人集め優先だったので条件も甘かったかも知れません。

今までに新規事業の人員募集で入社した会社が何社かありますが面談は比較的に甘い反面社内整備が追いつかずに何十万も立て替えた事もありました。

一定量人が集まると次第に入社条件も厳しくなり、この基準なら受からないなと思う所もありました。

公共機関の時刻変更の波及で

2024年3月16日(土)に名鉄電車の時刻変更で自宅を出る時間を見直しをしました。3月の最終週にいつものバス停に気づけば見慣れぬ張り物がありました。

以前に一度見た時は停車場所の変更で自分の降りる所は該当しないのでそれっきりでしたが気になって二度見すると何とバス時刻変更の案内がありました。

見落としていたら来週は遅刻して大変でした。新年度の運行変更は仕方ないので再度出勤時間の見直しと思っていました。

行きのバスは問題無いものの月数回程度ですが土日祝日の帰りのバスの21時台の運行が無くなっていました。

時刻変更の実施時期は来週の月曜日でした、土日祝日の出勤まで1ヶ月近く猶予がありましたがバス利用から駐輪場を借りて電車の駅から自転車通勤に切り替える事が思い浮かび上司に打診しました。 

連絡したのが火曜日でいつもながら上司から更にその上に確認の為の社内処理で返信に時間がかかる事を想定していましたが確認も含めて3日後の金曜日に承認の連絡がありました。

事前に駐輪場と自転車保険加入の準備をして承認あり次第、週末休みの土日月で準備をして火曜日からの出勤に備えるつもりでした。

自宅から下車駅までは自転車で3時間半かかり中古車でレンタカーを借りて移動しても3000〜4000円かかります。

一度ならいいですが可能性は低いものの訪問介護では付きものの訪問先の変更があった時は自転車の回収が必要で、同様の状況になったら運搬を考えると都度これらの時間やお金をかけるのかと疑問になりました。

今年還暦を迎えるので3時間半の行きの片道は大丈夫だけど帰りは体力的にどうか?レンタカーの利用もしっくりこずに浮かんだのが「折り畳み自転車」でした。折り畳みで公共機関を利用して駐輪場まで運び設置して引き取りも同様でどうかと思いました。

購入費用がネックで業務で必要不可欠でなくて持ち自転車もあるために家内に新たに折り畳み自転車の購入は言い出せませんでした。

「時刻変更に伴う駐輪場の契約と自転車保険の事」の可能性は事前に連絡してありました。

そんな休日初日に起床後に折り畳み自転車購入の話しが出ましたので、早速駐輪場申し込みと自転車保険の契約も済ませて自転車を購入しました。

他社(他者)依存と自らの思いで動く事

そんな時に朝刊で見たのはリニア開業の遅れで大きく計画が変わる人と進捗とは関係なしに粛々と進めていた方の明暗差でした。

何か示唆的なイメージを受けました、この会社が介護職最後の意気込みで何時間掛けても求める利用者さんがいれば、そこに行く気持ちで入社しました。通勤時間に比例して交通費は上がるので会社がそれを認めるかどうかは別ですが。

代表の理念と私の思いが合致しての仕事ですが会社ありきではなく自分の想いで決めたつもりです。これまで家庭の事もあったのである意味会社に頼らざるえませんでしたが還暦前にそこまでの必要性を感じません。
 
会社代表の言われる通り理念とする理想を実現するには資本主義社会の日本ではそれなりの大規模組織の会社になる事が必要不可欠には多いに賛成しています。

ランボーラストブラッド

静かに暮らしたいと思いながらも戦場に向かう運命に巻き込まれて類まれなる戦闘能力を持つがゆえに勝ち得た勝利者ランボーと自分の生き方にラップを覚えました。

過去の仕事は

前半30年の人生は泥臭い現場監理職で日本の何処に行くかは受注された案件次第でした。

日帰りの予定が現地に着いてから急遽連泊に変わったり名古屋を拠点に長野出張予定がこれまた急遽真反対の大阪になったりしたことも多々ありました。

現場責任者だけに極端な現場は目的地と工期だけ教えられて車か新幹線+レンタカーにするかとか日帰りか泊まりにするかは立てた予算内なら原則自由でした。

現場では所長なので行動は自由ですが何かあったり工期が迫っていれば、土日夜間関係無しに勤務したり休みの日に自宅に帰っても、現場で何かあれば即現場に走って繁忙期はまさに戦場でした。

そんな全国周りの出張生活から自宅を拠点とした現場職人に鞍替えしたのは50歳の1つ手前ですが運命とは面白いものでそれが建設業最後の仕事になりました。

定年後の遠い日の目標だった介護職に10年以上前倒しの就職になり、介護職は約束事も勤務先体制も建設業から極端に言って180度異なっていました。

荒海で出かける漁船と言われた事が

前職ではセラピーにもはまり込みあるセラピストさんから私の性質は「常時荒れ狂う海での死闘」で生き甲斐を感じる=現場周りの30年タイプと言われました。

時には地元に戻りゆったりした時間も過ごす=今の介護職10年。しっかり充電後は満ち足りた毎日に物足りなく荒海に出航して行きます。

もしかしたら登山家と同じく心境かなと思ったりしました。ゆったり生きたいと思う反面身体が動くうちは荒くれた海に臨みたいそんな気持ちです。今は充電何%でしょうか?

介護会社の代表記事

株式会社土屋の代表取締役兼CEO高浜敏之氏の言葉で大いに共感を覚えたフレーズを紹介します。

認知症の方や知的障がいがある方と接する奥深さは、ワインの味の違いが分からなかった自分では、発見できなかったかもしれません。今なら、その違いが感じられない残念さがよく分かります。


私の介助職で初めて関わったのが「知的障がい者」です。魅力的な彼らに出会わなければ介助職を10年も続けられなかったように思います。

彼らとの経験があったからこそ高齢者施設の居た認知症の方々との想いを共感出来たようにも感じています。

最後までお読みいただきありがとうございます。 もし気に入っていただけましたら「スキ」&「フォロー」もよろしくお願いします。