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歳をとったせいか?人な物事の奥を読めるようになったかも!

私は「遺留品捜査」が好きです、それは糸村聡刑事(上川隆也)が遺留品を元に時間の裏にある感動的な真実に辿り着く人情派刑事ドラマだからです。

それはあたかも子供の頃は面倒うに思えていた親の愛情に自分もその立場になって初めて気づき涙するような感激が得られます。

この世は愛に溢れているとスピリチュアル界では言われます。これは他人が行う客観的事実は1つでもその奥にある真実は千差万別受け取れます。

自分の性格と合わない人の行動はネガティブに受け取りやすいです。先日こんな事がありました、介護職に入って掃除がメインの訪問先にあたりました。

介護には大きく分けて生活介護と身体介護があり前者は利用者さんの身体に全くふれない炊事洗濯等の支援で後者は文字通りです。

私が数十年前に障害者と出会った時は来る日も来る日も一緒にパンづくり、夜や休日に障害運動やイベント参加で当時の障害者にお世話するイメージとほど遠くパン作りに興味が持てずに離職しました。

そこを離れて福祉とは関係ない建設業界で数十年過ごす中で当時行っていた共生共働の大切さと意義が分かり始めた頃に介護アルバイトの声掛けがありました。

介護は心身の不自由さから出来なくなったやりたい事をお手伝いする黒子と理解しています。対等な立場で知的にしっかりしている人はその人の指示に従い、知的障害のある方は本人のやりたい事をお手伝いするのは同様ですが身体に害がある事は静止もします。

具体的にはお店のものを無断て持っていく万引き行為や無制限に飲食し続ける行為などです。成人した健常者であれば善悪含めて自己責任ですが脳障害を持って方はヘルパーの判断が求められますが判断に迷う事もあり常に自問自答して本人にとってベターな生活が出来るように支援します。

身体(のみの)障害者の中には綺麗好きで訪問時間まるまる掃除という事もあります。経験が浅い時は介護と感じられずにくさったり嫌になって離れていたと思います。原点に戻るとこれらも大切な事で本人の自立の一端に担う仕事です。

自立と言うのは心身の障害をヘルパーが支援する事でその人が本来やりたかった事を実現する事でその人らしい生活が送れる事のお手伝いを思えば行動は変わって来ます。

晩年に立身出世した人の伝記を読むと一時的に本人がやりたかった仕事や事柄から大きく離れる現実に居る時期もあります。どんな環境でも爪を研ぐ場と思えば発言や行動が前向きになります。

一見遠回りしたように見える出来事も本来なすべき事ややりたかった事の肥やしとなって一回りも二回りも大きな器となって事にあたれるそんな気がします。

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