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なぜ今「和モノ」なのか。

 なぜ今、「和モノ」をプレイするのか。そもそも「和モノ」とは、古くから「日本製の芸術作品」を指して「和物」とされていたが、ここでは「日本製の音楽、特にDJ的な視点で選ばれた日本製ダンスミュージック」としたい。

 私が和モノに出会ったのは、クラブ体験として根本にある「TMVG(チームヴァイアグラ、常盤響と水本アキラによるDJユニット)」のプレイで、日本語の曲を耳にしたからである。彼らのプレイの中には、自然にプレイに組み込まれることもあれば、半ばジョークのような形でプレイされた、いくつかの和モノがあった。しかしそれは、地元ネタとしてチョイスされた長渕剛、DJが心から愛していたであろうエルマロ、異様に盛り上がるHi-Standardの「初めてのチュウ」のカバーなどであった。そしてそれは、そもそもユーモラスでボーダーレスであった彼らのプレイのほんの一部分に過ぎなかったし、そもそも「シリアスなダンスミュージック」としてチョイスされていたかというと疑問が残る。

 「シリアスなダンスミュージック」としての和モノに触れたのは、ブッダ・ブランド「人間発電所」のサンプリングネタが小掠圭であったことを知ったときであり、海外からリリースされた数々のディスコ・リエディットものの12インチ、ハウスレジェンドであるラリー・レヴァンのプレイリストの中に、日本人の曲の存在を確認したときになる。

 それから自分自身もDJプレイを続ける中で、多くの「和モノ」の名曲と出会ってきた。自身の幼少期を思い出すかのようなディグを行うこともあったし、自身が生まれる前の曲をインターネットで耳にし、購入することもあった。それらの中には、どうしようもなく気恥ずかしい(聴くのも恥ずかしいし、プレイするのも恥ずかしい)曲もあれば、真に名曲と言える曲もあった。

 DJから見て「和モノ」とは、そもそも手を出し難い分野である。まずトレンドとは真逆の発想でプレイすることが求められる。和モノをプレイする場に漂う空気というのは、おそらくほとんどノスタルジーとされるものだろうし(DJする側も懐かしくて選んだとは限らないのだが)、デジタル化されていない音源も多く、難易度は高い。皿の価格も、100~500円の廉価な7インチから、数万円の値がつくものまで幅広く、高い金を出しても外れを引く確率も高い。掘る範囲も、レコード屋に留まらず、ハードオフまでも対象となる。

 しかし、それを差し引いても余りある魅力は「日本語によるダイレクトなコミュニケーション」である。和モノとしてチョイスされる曲は、ほとんどが日本語である。和モノとしてカテゴライズされる曲の中には、英語詞であり、それゆえ海外からの評価が高いものもあるのだが、それ以上に、日本語の曲をフロアに投下することによって得られる反応は、英語詞の曲にはないものだ。それは、良い意味でも悪い意味でも「聴き流すことを許さない」曲群と言ってよい。通常、この手の曲は、DJとしては「キラー」として使われるもので、すさまじい盛り上がりを起こすこともあれば、ネガティブな反応も起こしかねない、リスキーな曲群である。しかしそこには、パリピのBGMと化したダンスミュージックにはない、どぎつさ、気味の悪さ、そしてダイレクトに伝わる感情がある。

 そしてもう一つ、大きな魅力として挙げたいのは、それぞれの曲の、ポップソングとしての完成度の高さだ。海外にJ-POPファンが多く存在することからも分かるように、日本のポップソングは世界中で根強い人気がある。昨今人気のBABYMETALも、メタルを媒介としてはいるが、日本のポップソング文化の中から生まれたものであるということを忘れてはならない。また、オランダのハウスレーベルRush Hourが、和モノのリイシューを断続的に行っていることも、日本語ポップスの持つポテンシャル、和モノの完成度の高さを証明しているのではないだろうか。

 というようなことを考えながら、8月12日、夕方5時より、玉之浦祭りにて、DJイデさんと和モノDJ大会を行います。DJとしては、むちゃくちゃハードル高いというか、前述しましたようにリスクにリスクを重ねるDJプレイとなるわけです。しかしそこに、何らかの化学反応を見てみたい!見てみたいんだよ!!

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