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理解し合うということについて

 今回は、自分が最近感じていることについて記す。

 最近、公私共に、「理解し合えんなあ」ということが結構あり、ちょっと人間関係に疲れ気味である。自分の場合、基本的に口数が少なく、思いが伝わらずに誤解を招くようなこともある。口数が少なくても誤解されにくい人もいるんだろうけど、俺は少なくとも「誤解されにくい」人間ではない気がする。

 そもそも根底として、自分の中に「人間同士は簡単には理解し合えない」し、「他人に理解してほしいと思うことは精神的な不健康につながる」とさえ思っている節がある。例えば、今自分が仕事で就いている役職のしんどさなんて、同じ業種でもこの役職に就いたことがある人しかしんどさが分からないし、ましてや違う業種の人にはもっと理解できないはずだ。例え身内だろうと理解できない。そして、そう考えれば、俺自身もそこまで他者を理解できていないと言えるだろう。

 そりゃあ理解者がいれば嬉しい。例えば上記の仕事の例で言えば、理解者がいたところで仕事の量やしんどさは変わらないけど、心が楽になるところはあると思う。しかし、「なんで誰も俺のしんどさを理解してくれないんだ!」という思考になると、逆にしんどい。最近は、そういうことは望まず、できるだけ静かに仕事をしている。

 まあ、近しい人たち、例えば家族とかが理解してくれてたら嬉しいけど、最近の俺はそれすら求めていない。それを求めることが間違いとは言わないが、俺の場合は求めるとかえって自分の首を絞めることが多いなと経験上感じる。

 段々と何が言いたいのかよく分からなくなってきたが、とりあえず人に期待し過ぎるとしんどくなるから、その意味で、他人に理解してもらおうなんて基本的にはあまり思わずに生活したいなと、最近は思っている。

 ここまで書いて気付いたが、この曲は去年作ったものだが、俺のそういう価値観がよく表れた曲だと思う。ぜひ聴いてみていただきたい。

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