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ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』について

 『ガリヴァー旅行記』を読んだことがない自分でも、主人公が小人の国に行きつき、目が覚めた時には小人たちに縄で地面に締め付けられているシーンは知っている。つまり、『ガリヴァー旅行記』とは、主人公が小人の国に行き、自分が巨人になったことを生かして船を引っ張ったり火事を小便で消したりと様々のことをするおとぎ話だと認識していた。

 実際は、現実世界を鋭く風刺した、400ページ超の大作であった。

 まず、小人の国以外にも、巨人の国、空に浮かぶ国(ラピュータ)、理性を持つ馬の国など、主人公はたくさんの国に行く。行き着いた各々の国で、自分の国(イギリス)との文化や価値観の違いを記していくというのが基本的な構成だった。そして、そこにはたくさんの人間批判が盛り込まれていた。

 自分が特に印象に残った内容をいくつか記す。

①宗派対立の批判
 小人の国で、たまごを面積の広い方と狭い方のどちらから剥くかという考え方の違いから、隣国と敵対しているという内容があった。これは現実では、キリスト教のカトリックとプロテスタントの対立を揶揄しているらしい。どうでもいいようなことで対立し、ついには戦争に発展する。よくよく考えたらなんて馬鹿らしいんだろうと同意した。

②目的を失った研究を続ける研究者たち
 空飛ぶ国ラピュータは科学が発展した国だが、何のために研究を行っているのか完全に見失っている研究者たちが出てくる。本来、科学は社会に有益なものをもたらす目的があると思うが、ラピュータの研究者は趣味的な研究に没頭している。これも、当時の王立協会という科学者の団体を非難しているものらしい。

③醜いヤフーたち
 最後に行き着いた、フウイヌムという理性のある馬たちが住む国では、ヤフーという人間に似た醜くずる賢い動物が家畜として飼われている。ここで徹底的に人間の醜さをスウィフトは批判したかったんだと思う。フウイヌムがヤフーの醜さを主人公に教える場面がある。貪欲、狡猾、破廉恥、不潔、怠惰…ここまで人間を批判できるものなのかと、雪崩のような批判が記されている。しかし、フウイヌム国を去った後、主人公は海で、ポルトガル人船長のドン・ペドロに保護される。ドン・ペドロは誠実で有徳な人物として描かれている。最後の最後に、このような人物が作品に現れたことは、救いがあると感じた。
 ちなみに、人間を他の動物の立場から見て論じるという方法は、岩明均の『寄生獣』や、藤子F不二雄の短編『ミノタウロスの皿』に近いものがあると感じた。


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