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もっと、他愛ないことを ー『るきさん』

高野文子のマンガはどれも好きだけれど、『るきさん』はその中でも一番初めに出会って、一番多く繰り返し読んでいると思う。とにかく大好きな作品だ。

るきさんは自宅で保険請求の仕事をしている。仕事が早いので、1ヶ月分の仕事が大体1週間で終わる。そうすると、図書館へ行ったり、趣味の切手集めをしたりしている。独身、彼氏はおらず一人暮らし。食事のときはちゃぶ台の前に座り、多分食卓には焼魚やおひたしやおとうふが並んでいるはずだ。
地に足の着いた、至って堅実な生活ぶりだけど、るきさんはちょっと変わっている。お風呂に入りながらコーヒーを飲んだり、かよわげな見た目なのに平気で電車でマスクしてスポーツ紙をめくったり。図書館でも、子どもと本の取り合いをしたりしている。身近にいそうでいない、そんなるきさんの日常が淡々と描かれている。

友人のえっちゃんは流行に敏感なOL。シーズンごとにおしゃれな服を揃え、インテリアにも手を抜かない。流行りのお店なんかの情報にも詳しい。同年代で一人暮らし、彼氏なしで、今は同じ課の新人くんにときめいている。

全くタイプの違う二人だけど、仲はいい。一緒に買い物したり、外食することもあるけれど、どちらかの家でごろごろしていることが多そうだ。それも、「近くに来たから寄ったよ〜お茶飲ませて」という感じ。お互い気を遣わない、かといって、図々しいとか一方がもう一方にべったり、というのでもない。ちょうどいい距離感なのだ。

趣味の話で意気投合、ということも少ないから、2人の話題は他愛ないものが多い。アイスクリームが食べたくてたまらなかったとか、昨夜見た夢の話だとか。興味がないときはお互い聞き流したりもしているけど、どうでもいい話を気兼ねせずにできる仲なのだ。こんな付き合いが随分長く続いているんだろうな、と想像させる。風邪をひいたときに看病を頼んだり、お金を借りたいときに顔が浮かんだり、というくらいには信頼できる仲でもある。

ある種の人間関係において、仲の良さというものは、どれぐらい雑談できるか、してきたかで測れるように思う。仕事関係で知り合った人が、家族や好きな食べ物の話をぽろっとすると、私は嬉しい。そういう話をたくさんできるようになると、もう大丈夫、この人とはやっていける、という気持ちになる(だから逆に、知り合って間もない人と二人きりで雑談をしなきゃいけない状況はとても緊張する)。家族だって、必要な会話しかしない状態より、昼に食べたものの話とか今度見たいテレビの話とか、どうでもいい会話をたくさんする状態の方が安らげる。いや、安らぎたくて、安心したくてどうでもいい話をしている。思うに、人は生活の全てを「意味のあるもの」で埋め尽くしてしまっては、やっていけない生き物じゃないだろうか。

『るきさん』は、「他愛ないこと」で満ちている。例えば、るきさんが自転車を漕ぎながらせんべいをかじっていて落としてしまった話とか。雨降りで着るものがなくて、とうとうレインコートで過ごす話とか。しかも、仕事とか恋愛とかの「人生における重大事」と「他愛ないこと」を比べたり、序列をつけたりしない。るきさんの中で、仕事と落としたせんべいの重みに多分そう違いはない。どちらも生活を構成する一要素だ。有意義な行動の方が大事、なんて考え方は微塵もない。その感じがとても心地よくて、なんともほっとするのだ。そうだよな、これが本来のあり方だよな、という気がする。

普段生活していると、家事だとか仕事だとか何かしら有意義なことをしていないと不安になる。ちょっと道草していると、「これは意味のあること?もっと役に立つことをしなくていいの?」ともう一人の自分が尋ねてくる。でもまあ、いつもいつもそう有意義に生きなくてもいいのだ、本当は。「他愛ないこと」がなければ、息もできないのだから。
『るきさん』を読むとき、私は知らずに深呼吸をして、肩に入った力を抜くことができている気がする。


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