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虚飾を恐れて装飾を捨てる人間は無色透明として扱われてしまう

人は見た目が9割とかなんとか言うつもりはないけれど、アイキャッチは重要だと思う。都会を走るトラックの広告が単色のみのちっちゃい文字だったりしたら、誰も気づきもしないし、気づいた所で大した関心もないだろう。しかし、色とりどりのデザインで有名タレントなんかの写真を載せて走れば街ゆく人々は立ち止まって目を凝らしてそのトラックに釘付けになるだろう。実際の情報だけで人はその情報の重要さを認識する訳ではなく、どんな装飾がされているかで人はその情報の重要さを認識する。だからこそ、緊急地震速報の音なんかは人の恐怖を煽るような音色をしているのである。あれが平和なメロディで構成されていたら、いざという時に何の役にも立たないだろう。そういう意味で装飾は大事だ。文字は人に情報と伝える大事なツールではあるが、WEB上の決められた規格の上での文字というのはあまり派手に目立つ訳ではない。無論、太字や斜線や色文字や大きさなどを色々と変更することによって多少目立たせる事はできるけれど、絵画の印象の強さには劣るのではないだろうか?文字は一旦脳内でイメージ映像に変換してから解釈される気がするが、絵画はダイレクトに人に印象を与える。だからこそ、サムネイル画像とかを付けるのは大事なのだろうと思う。実際データとしてもサムネイル画像を付けるとアクセスが増えるらしい。それこそ「情報ってのは何を言うよりかも誰が言うかの方が大事だ」なんて話もある。さらには自分が文字で確かに伝えたと思っていても、相手は相手で都合良く解釈してしまって、まるで伝わっていないなんてことはザラにある。文字のみの威力なんてのは、思った以上に儚いのかもしれない。人から人への情報なんて上手く伝わらないのだけれども、それでも伝えようとする技術の一端がサムネイルだったりするのだろう。とはいえ、それにだってデメリットはある。面倒なのである。文章を習慣的に書き連ねるって時点でもそれなりに労力が掛かるのに、サムネイルまで一々用意するとなると、さらに労力が上がる。継続こそが最重要であるのに、日々のクオリティを向上させる為にその最重要部分を蔑ろにしてしまっては本末転倒である。自分の肉体と精神の許容量を見定めながら頑張る量は調整せねばなるまい。まずなによりも、書くことが最初にあり、その後に装飾だ。内容がゼロなのに装飾ばかり目立たせてしまってはそれこそ虚飾というものである。頑張れば頑張るほどに良くなるなんて言うつもりはないけれど、良いものは大概の場合頑張らないと出来上がらない。必要不必要は要検討する必要があるが、やはり大きな物を作り上げるには気力体力が重要なのは言うまでもないのだ。歳を重ねてからも何かを作り上げたいと思うのならば、日々の健康作りを怠ってはならない。

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