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【巻頭言】 本誌八十号刊行に思う 今村聰夫 <80号 平成27年8月>

 ヲシテ三書を発見し研究の道を拓いた松本先生は、晩年に各地の講座を閉じて赤坂例会一本に絞られました。先生が平成6年に引退された後も、会場を提供されていた宮永さんのご厚意で会は存続しました。

 そのホツマ赤坂研究会で、私のホツマ研究に鞭が入れられたと感じています。
広く全国のホツマ研究者に発表の場を提供しようと、同人誌の刊行を提案推進されたのは倉田さんでした。

 宮永さんが発行人、倉田さんが編集人をお引き受け下さり、赤坂の全員が一致協力して、平成14年6月に本誌は隔月刊誌として創刊されました。同人誌には多くの困難が伴いますが、13年目の今年80号を数えることができたのは、強い絆があったればこそで、関係各位と全国購読者の皆さまに現編集人として深甚の感謝を捧げます。
昨年来、編集実務を原田さんに担って頂いたことで、投稿者は増え年齢層も広がって、紙面も格段に充実度を増しました。本誌は今後も更なる発展が期待されます。

 古事記・日本書紀(記紀)における上古の記事は、ホツマツタヱを原資料として成立し、その過程であまたの改変が加えられています。記紀とホツマの同一記事を照合して、記述内容の相違を比較精査すれば、誰でもこの事実を確認できます。
どちらが正しいとか、改変が良い悪いという問題ではなく、これこそが歴史事実なのだと認識すべきです。

 私は「ホツマは記紀の先行文献である」という事実を核として、古代史の流れを探究してきました。

 本誌7号「ホツマツタヱ真書の証明」で朝間ヒラク氏が示唆されたとおり、出雲で出土した39個の銅鐸は、ホツマ34アヤの記事で誅殺された出雲フリネに関連して埋められたミカラヌシそのものです。

 私は本誌59号「人類の宝を顕彰する三十九個の銅鐸」と76・77号連載で「銅剣・銅鐸が埋められた謎」を発表しました。その中で私は、ホツマが記紀の先行文献である事実を証明する物証であると明言しました。

 二十一世紀に入ってから、最新科学技術の進化は目覚ましく、ことに遺伝子解析技術によって、考古学が縄文・弥生時代の実相を明らかにし始めており、ホツマの記述が正しいことを裏付ける事例が増えています。

 今こそ、真理の探究を志す若人は、文系理系を問わず連携して、最新科学技術を駆使し、この事実を確認・発展させ、古代史学の新しい土台を築き上げて欲しいと、念願する次第です。

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小誌の発刊80年号を記念して、今村聰夫氏が、巻頭言を寄稿下さいました。発行元である「ホツマ出版会」は、松本善之助翁が活躍中だった頃から今なお続く赤坂研究会を母体としており、初期執筆者のほとんどが、直接に松本先生の薫陶を受けた方々でした。

世上では、「ホツマツタヱなどの古文献は偽書」と吹聴される方々も少なくないのですが、
1. そもそも「偽書」の定義が、バラバラ
2. 「偽書」吹聴派の方に、原典を読んだ人がほぼ皆無
3. ヲシテ文献と記紀の比較研究の実績を、黙殺している
と云った点で、極めて恣意的であり、学術精神に悖るものです。

わたしたちは、記紀などの古典籍を否定しようとしているのではありません。ヲシテ文献も我々日本人の、そしてすべての人類にとっての貴重な文化遺産のひとつであると、主張し、探究しているだけです。


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