時をかけるおじさん 25 / また母のこと

久しぶりに1ヶ月半前の自分の文章を読み返してはじめて、どうにも似たような感情に襲われていたことを思い出した。

母は、なんでもよく、細かく覚えている人。
父は、なんでもよく、忘れる人。
私は父寄りで、かなり色々なことを忘れる人。

子供のこと、家計のこと、祖母の介護、世話、病院やお墓のこと、さまざまなことを母が動かしていた。

そんな母が、どうやら順番的に、先にいってしまうかもしれないということが、昨年に判明した。急激な痛みを訴えたことから詳しく検査をすることになり、遅れて発覚した癌。すでに多臓器への転移が認められるステージⅣで、手術はできないと言われた。

母が、もう長くない。
60代に足を踏み入れたばかりの母が、
もう長くない。それは母自身にはもちろん、家族にも、私にも大きな衝撃を与えた。

私は小学校に入ったか入らないかくらいの頃、きっかけは覚えていないけれど、「死」というものがとってもとっても怖くてしょうがなかったことがあった。

父や母がいつかいなくなってしまうかもしれない。
そんな得体の知れない恐怖に押しつぶされそうだった時の感覚をよく覚えている。
とにかく誰かが死ぬということが怖かった。
自分が死んで、誰かを悲しませてしまうかも知れないということも怖かった。
あまり空想家なタイプではない私だけれど、わりとリアルな想像は昔から結構得意で、こうなったらこうなるのではないか、という想像図は、良くも悪くも描きがちだった。

お医者さんの宣告を聞いたときの私の受けた感覚は、その頃と全く同じではないけれど、「母がいなくなるかもしれない」という事実は、
現実的にも心情的にも、到底すんなり受け入れられるものではなかった。

当時様々なことが重なった時期でもあり、自分の意思とは関係なく気づけば街中でも涙が止まらなくなったり、
怒りや理不尽さや悲しさで眠れなくなったりもした。
制作をすることがとてもつらいときもあった。

そして母が癌を宣告されてから1年以上が経った。さすがに街中で泣いたり辛くて仕事が手につかないということは今の所ない。

母は、様々な抗がん剤を試しては、数ヶ月で効果を感じにくくなり、新たなものに変え、副作用に見舞われる。それが正しいものなのか判断は今でもつかないけれど、この1年間で母は、お金や保険などの整理をすすめてくれ、一方で自分の好きなアーティストのライブに行ったり、子供たちの誘う様々なイベントに付き合って一緒にいろんなところに出かけたりもした。

1日の中で痛みや不調を感じる時間が増え、薬を服用しては眠るということが増えた。そして限られた時間の中で、子供のことをめいっぱい心配している。

母は最近、お葬式の形式や、遺影のことなどを私に話す。
どれも大事なことだけれど、私にとってはなんだか右から左へ流れていく感覚なことも事実。

心の中では、まだ受け入れられていないのだ。母がもうすぐ死ぬかも知れないということを。それは、自分が一番よくわかっている。

(文・ほうこ)

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