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時をかけるおじさん 23 /僕らが旅に出る理由

また書くのが久しぶりですが。
時をかけるおじさんこと、若年性認知症の父と、がん闘病中の母を持つ娘、ほうこです。
まあまあ悲劇的な肩書きですが、それなりに元気にやっております。

昨日イベントの仕事がありあまりに疲れ、宵っ張りの私が珍しく早寝をした。そして今朝はやおきができたので、昨日一日イベントを終えた謎の達成感があり、なんだか今日は仕事を休んでしまっていいような気がする!とふと思った。

そしてあろうことか、母に言った。
「箱根でも行かない?今日。」
と。

それが闘病中の母親に当日提案することか。と自分でも突っ込みたくなる。

とにかくどこかに出かけたかった。そう遠くないどこかで、温泉に浸かる。でも日帰り温泉は疲れるので嫌で、一泊したかった。そんな旅を一人でも数週間前にしたばかりだったが、その時も、母を連れてきたかったと思ったのだった。

とはいえ母の体調もさることながら、結局一番の気がかりは父。放っておいたらデイサービスに行けるわけがないしご飯も食べられない。
どうしようかな、、、と兄弟を巻き込もうかと算段するも流石に当日の思いつきは厳しいし、今日は連休最終日、そして明日は平日である。

そして思いついた。

父もつれていくか、と。

たぶん予め計画したテンションなら、父を連れて行きたいとは思わなかったし、無理無理、と思っていた。

でも今日の私は謎のパワーに溢れていた。

そして結果をいえば、
今、両親と私の三人で三浦海岸に来ている。

(はじめの思いつきから目的地が一転するのもまた一興)

これはたぶん孝行といえば孝行だし、
自分が来たかったといえばそう。

でも本当はなによりも、
母の体調に関する、目を背けたいような謎の予感があった。

正直言って、こんな予感は大外れしてほしい。
でも、今行かないと後悔するんじゃないか、
そういう気持ちが一番大きかった。

それでも、奇跡的なまでにスムーズに手配が進み、朝思いついてから五時間後くらいには、目的地に向けて出発していた。

本当に勢いというのはすごい。

母は抗がん剤をいろいろ試すうち、三種類目くらいを試したときに初めて髪が抜けた。いろいろと私も多少は気にかけたつもりだったけれど、本人には想像以上のショックもあっただろうし気も滅入ったと思う。母は夏場でも家族の前で帽子を脱がなかった。それだけ気にしていたということだ。そして薬を変えてまた髪の毛が少し戻ってきた。今はベリーショートよりも短いくらいだけれど私や父の前で帽子を脱ぐようにもなった。(というか結構似合っている)
そして突発的とはいえ温泉に行こうという誘いに乗る気持ちになったのも、たぶん髪の毛が伸びてきたからということもあると思う。
そして3日後には母はまた今とは違う薬に変えることになり、数日入院することが決まっている。

だけど今日、美味しくご飯が食べられて、
自由にお風呂に入ることができた。
夜は部屋でお茶を飲みながら、
母は、「いまどこも痛くない」と言った。
100%本当かなんてわからないけれど、
今日二人を連れてこれてよかったなぁと思う。

ちなみに父は、有無を言わさず私が旅の準備をしてさぁいくよと命令するものだから、なんだかブツブツ文句は言うけれど、電車に乗ってきてみたらなんだかいい思いができた?のか、まぁご機嫌に過ごしている。私もここ数ヶ月で一番心穏やかに接することができている気がする。

しかし父は自分の所在地は決して覚えられず何度も聞くので、夕飯の際に私から、「いま、山にいる?海にいる?」と質問してみた。
全くわからないと言う感じなので、海鮮だらけのビュッフェ料理を指して、「これは海のもの?山のもの?」と聞くとまた、ハテナな顔をする父。カニを指して「これは?」ときくと海という。マグロをさすとまた海という。「じゃあここは?」と聞くと、さぁ、という。肝心の答えは出ないくせにその後はやたらと、『これは海のものか山のものか?』クイズに父が凝ってしまってしつこかったので、チーズケーキを指差して強制終了させた。

さぁ、あとは明日無事に帰れればと、
慣れない場所で父が粗相をしないこと。それだけを願って、寝ます、、

満月かまぼこ。

いつも時系列がバラバラで、すみません、、。

ここまで書いておいてなんだか、『闘病中』という表現に違和感もかんじつつ。闘っていると書くと、辛さしか出ないように見える。とまぁこれはまた別途書くことにしよう。

(文・旅先より、ほうこ)

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