皿洗いと打ち合わせ

 学生の頃友人に誘われて割と名のしれた大きな観光ホテルの皿洗いのバイトに行ってた。夕方四時から夜十時までの勤務だったがまかない飯が出たのでありがたかった。皿洗いの仕事は使用済みの皿を軽く水で流してから洗浄機械に突っ込み乾燥させて厨房の決められた食器棚にしまう。ひたすらこれの繰り返し。ピークは夜八時ぐらいまでで以降の時間は汚れの多い皿などは減りコーヒーカップの洗い物が時々くるくらいだった。厨房の緊張感も解け皿洗いの先輩のおばちゃんたちに飲み物などもらったりしてゆっくり過ごしていた。

 ある日、そんなゆっくりした時間帯に若いウェイターが皿洗いの場所に来た。後ろの方にはウェイターの仲間達がなにやらニヤニヤして見ている。見たところ高卒で就職し一、二年目といった様子だ。彼は私が座っている長椅子のすぐとなりに腰掛けた。顔が近い。パーソナルスペースを侵害している。細かいセリフは覚えていないが、どうやら大学生の皿洗いのアルバイトがいるということで挨拶にきた、よろしくなみたいな内容だった。舐めた態度だった。友人は「なんやあいつは」と怒っていたがあれはヤンキーの挨拶なんだろう。ウェイター仲間を代表してイキって見せたのではないか。こうやって思い出すくらいだからいい感じはしない。だが君は社員、私はバイト、私がいずれ客としてこの観光ホテルに来ることもあるだろうに。そう思うことにしてその場の感情をおさめた。

 が、客として訪問するその機会はものすごく早く訪れる。私はプログラムのバイトもしていて、このホテルの経理システムを手直しすることになっていた。ある日バイト先の社長と一緒に支配人と打ち合わせをするためにこの観光ホテルを訪問した。支配人はホテルのトップ、企業で言えば社長にあたる。資料を見ながら修正内容の確認を支配人室で続けているとコーヒーでもどうですか、と支配人。出されたのは皿洗いで見慣れたコーヒーカップ。そして、コーヒーを持ってきたのはあの若いウェイター。彼は私に気付いたようだったが知らないふりをした。そして一礼して支配人室から退出した。

 あの観光ホテルは廃業して今はもうないが、そんなことがあったというお話。


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