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養生訓巻第一 貝原篤信篇録 総論上 ㉔ 鳳凰堂流解釈


[原文を現代文に改変]
ある人は次のように語った。

養生の術は隠居した老人や歳若くしても世を逃れて、安らかに過ごしている人には良いが、士(さむらい)として君父に仕えて忠孝を勤め、武芸を習い、身体を働かし、農工商のように昼夜家業に勤めて暇がなく、身体を忙しくしている人は養生が成立しにくい。

このような人がもし養生の術を一生懸命行えば、その身体は柔らかく、そのわざゆるやかになって、役に立たなくなると言う。

これは養生の術を知らない人の疑いであり、残念な発言である。

養生の術は安閑無事な事ばかりではなく、心を静かにし、身を動かす事を良しとする。

身を安閑にすると、かえって元気が滞り塞がって病を生じる。

例えば流水は腐らず、戸樞は朽ちないようなものである。

動くものは長くもつ。うごかないものは却って命が短い。ここからどのような職でも、この意図を深く考えて、良く勤めるべきである。

安逸過ごす事ではないのが養生の術である。

鳳凰堂流解釈
普通の人が養生、命を養うと聞くと、休む、ゆっくりする等の意識が大きく働く為、敢えてそうではないと言っています。

物事には必ず二つの側面があり、養生においては今どちらが適切か(動かす事か休める事か)はその人の今の状態によって違うので、その人が判断する必要があります。

精神的に疲れていれば、存分に休めたまに動かすと言う工夫も大切で、肉体的に疲れていれば、しっかり睡眠を取りながら動かしていく必要があります。

これを話し出すと更に長く、難しくなるので、端的に説明してくれています。

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