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場 をつくる

わたしは、 場  をつくりたい。

だいすきなひとが豊かになれる  場  。
ちょっと悲しいことがあっても、そこにいけば安らげる  場  。
仕事疲れたな〜でもあそこにいけば、みんなに会えるか〜っていう  場  。


約束をしてるしてないに関わらず、そこにいけばなにかが起きるかも、という希望になる  場  。


自分が社会人になっていちばんにすごくすごく思ったことは、生活を淡々とこなしていくことを続けていくことはできるけど、それだけじゃあまりにも人生って長くない?時間つぶせる?こころがすりへらない?


こなすことに慣れると、こころがすりへる感覚がある。生きていることが、ふわふわしてくる。

すきなことだけで生きていきたい!!!!!とかをいってるわけではない。

そうじゃないけど、苦手なことを強制的に矯正してやるのはどうだろうと思う。それって、得意も得意じゃなくなるリスクがあることをどれくらいみんな気づいてるのかな。


わたしは、年末〜年明けの2ヶ月くらいうまいこと歯車がまわってないなあ、噛み合わないなあという時期があって、じぶんってなんだろう、じぶんにできることって案外ぜんぜんないなあ、、と落ち込んだとき、落ちて落ちて落ちて、もうそれ以上落ちることはできないよ〜っていうところまで落ちたとき、ぶわあっとなった!


もやもやしていたものが晴れて、まわりのだいすきなひとたちが思い浮かんだ。

わたしは到底このだいすきなひとたちなしじゃ生きていけないし、じぶん単体でできることって案外ほんとうにないかもしれない。

けど、けど!こんな〝なにもない〟じぶんでも、まわりのたいせつでだいすきでたまらないひとたちは、わたしのことをたいせつに思ってくれている気持ちは変わらない自信があるぞ!


ほんで、このだいすきでたまらない魅力が溢れてるひとたちがたいせつに思っていてくれているわたしが、魅力的じゃないわけなくないか?


あ!わたし、生きれる!


なにも価値がないかもしれない、からっぽかもしれないという、できるとかできないとかじゃない部分でじぶんに価値が見出せたとき、とてもだいじょうぶだと思った。


ひとりで生きていけないんじゃなくて、ひとりで生きていく必要がない。いけるわけないんだもの〜。



この1年間、働きながら生活をこなし続けることに違和感をずっと持ち続けていて、こなし続けるまわりのみんなをみていてこのひとたちにわたしが与えられるものはなんだろう。このひとたちの魅力をまいにちみたいくらいだなあ。


そうだ、〝場〟だ!

ふらっと寄れたり、ぼーっとできたり、時間を超えてしゃべれたり、きになってたあの子となかよくなれたり、だいすきなひとの顔をみれたり、お腹の底からきもちよく歌を歌えたり、たいせつななにかをみつめることができたり。


わたしが豊かになるために、みんなの豊かな姿をみるために、わたしには〝場〟がひつようだ!


これは、物理的な場所(〇〇区のビルとか)じゃなく、〝場〟なのだ。


もちろん、具体的な物理的な場所はひつようになってくるけど、それがあれば〝場〟が成立するわけではない。


わたしがつくりたい場は、到底わたしだけじゃつくれないし、あなただけでもむずかしい。

そもそも、ひとりでつくるものじゃないね。


でも、わたしはとりあえず、「やってみるよ!」と先陣をきってみようと思うんだ。

豊かになることを怠らないことに熱心になってみようとおもうんだ!


ひとりじゃむずかしくっても、ふたりだったらみんながいればってこと、あるでしょう?


それ、〝ここ〟で試してみようか!



まだ、なにもないけれど、なにがどうなっていくのかも見当もつかないけれど、じぶんのこの先がじぶんでもどうなっていくかどんな選択をしていくのかわからないって、希望だ。


こんなわくわくすることってあるのかな。


いま、わたしは〝場〟のことを考えて、あなたのことやあの子のことを考えるだけで、もうとびきりのところにいけちゃうね!


みんな、行きたいところにいけるし、行きたいところへいっていいんだよ。

わたしはとびきりドキドキしてるじぶんを、みんなを惜しみなくみていきたい!


だいすきな歌の歌詞かいておーわり。


忘れているならおもいだしてよっ。
みないきたいところへいけること。


行きたい所  /  hara kazutoshi

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