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「あ!いいこと考えちゃった!」は純度がたかい


ついきのう、だいすきなせんぱいと話していたときにふと思ったこと。


「あ!いいこと思いついちゃった!」


の、ドキドキとわくわくとちょっとの不安と「わたし、もしかしててんさい・・?」っていう自意識過剰感、たまらないですよね・・・?


しかも大抵、この「あ!」のほやほやのとき、このきもちをことばにうまく表せない。すっごくドキドキしてるから、どうにかしてひとに伝えたい!共有したいのにどうしてもうまく言えないし、うまく伝わらない自信がある・・!くうう・・!ってなる・・!



たまらなくないですか?たまらないですよね、これ。



というのも、そのせんぱいと話していたときに怒涛の「あ!」合戦が起こった。


その「あ!」は、話してる中で生まれたものもいくつかはあったけど、ほとんどはひとりでいるときに生まれた「あ!」を思い出して、なんか時間が経って〝いまならことばにして伝えられるかも!〟と思って、「あ!さいきん思ってたことなんですけど・・!」と話しだす感じ。「わかる・・!わかる・・!!!!」と一回なり出したら、もう合戦のゴングがカーン!てなっちゃう。



この合戦、世界一平和かつ、たん・・・・のしい〜〜・・・・!(噛み締めてる)



ひととおり、合戦し終わったらせんぱいがふと、ふう〜〜と息をついて「・・潤った〜〜〜〜」といっていたときの表情が忘れられない。忘れたくない!めっちゃいい表情をしてくれてた。たぶんわたしもおなじかおしてた。平和?へいわなのか?はとぽっぽ?



そういえば、糸井重里さんのいつかの今日のダーリンでも「あ!」の効力についていっていた。


〝とにかく、「あ、いいこと考えた!」が、行き先なんだから、そっちに向かおうよ。そしたら、「あ、それだ!」が見えて、ほんとに、やりたいことが出発できるよ。いちばんだめなのは、時間にしがみついていること。〟



これを読んだとき、「ありがとう〜」ととても思った。じぶんが信じたい「あ!」をじぶんよりもおとなのひとが言語化してくれるととてもうれしい。「ああ、じぶんが信じたい道はだいじょうぶそうだね〜」ってじぶんとじぶんが安心している。「ね〜」って笑いあってる。かわいいね!


たぶん、これを読んだとき、しずかにだけどしっかりと感動していて、とっても残っていて、せんぱいと話していたらすぐこの答え合わせが現実に起きて、「これじゃん〜」となってしまって、笑ってしまった。


じぶんがしすがに知りたい、信じたい!ありがとう!と思ってたことに追い打ちをかけて、「こういうことだよ〜!これは事例だよ〜みせとくね〜」とだれかから見せられてる気がした。

ほんとうに知りたいことは、たしかにしっかり知れるんだなあという気持ちが年々つよくなっているし、確実になっているのがうれしいな。


わたし自身も、わたしのたいせつなひとたちも、みんな「あ!」をだいじにしてほしいなあ。「あ!」をやっているみんなを見たいし、「あ!」を聞きたいなあ。やっぱりわたしは、この「あ!」を聞くためにも場をどうしてもつくっちゃうんだろうなあ。




〝あ!場 があればいいんじゃ〜ん!〟



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