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船名由来の豊後の三賢人とは?📖

こんにちは!大分第一ホーバードライブです⚓

前回の記事で3隻の船名を紹介しましたが、
今回はその由来になった、豊後の三賢人について紹介します。📝

豊後の三賢

江戸時代後期、豊後国(大分県)で広く学問に取り組んだ三人の学者のこと。彼らは、学者として多くの功績を残しながら、私塾で子弟の教育を行い、人材育成にも力を注いだ。

三浦梅園(みうら ばいえん)

1723(享保8)年~1789(寛政元)年

豊後国国東市生まれ。
江戸時代中期の哲学者、教育者。
梅園の対象とした学問は天文事・物理・医学・博物・政治・経済・文学と、非常に幅広い範囲にわたっている。
儒学と洋学を調和した独自の自然哲学によって、大宇宙の原理を解明しようとした江戸時代中期の自然哲学者、思想家。
その思想は独学独想で構築されたもので、「条理学」といわれる。
梅園の私塾では、多くの塾生たちがこれを学んだ。

帆足万里(ほあし ばんり)

1778(安永7)年~1852(嘉永5)年

豊後国日出生まれ。
江戸時代後期の学者、教育者。
経済、物理、医学、天文などの各分野に通じていた。
西洋の医学や科学も積極的に学び、西洋科学の紹介と独自の考えを『窮理通』にまとめた。
日出藩の家老として藩の政治改革にも取り組み、私塾である
「西崦精舎(せいえんせいしゃ)」を開塾し、
個性を重視した教育を行った。

広瀬淡窓(ひろせ たんそう)

 1782(天明2)年~1856(安政3)年

豊後国日田郡生まれ。
江戸時代後期の儒者、漢詩人、教育者。
儒者としてたつことを決意し、家業を弟に譲り、やがて私塾である
「咸宜園(かんぎえん)」を開塾。
思想は敬天を主とし、老子や易などを含む独自のものである。
また、教育方針は学歴・年齢・家格を問わず万人に門戸を開いたため、
塾生はのべ5000人を超え、何人もの俊才を輩出した。

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以上、船名の由来になった、豊後の三賢人を紹介しました!
彼らがたくさんの人に称えられているように、
3隻のホーバーも、皆様から愛される乗り物になりたいと
思っていますので、どうぞ宜しくお願いいたします🙇

それでは、次の投稿でまたお会いしましょう🙋
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