sora tob sakana 『ささやかな祝祭』

 夜の街を歩いていると、光の種類の多さに驚くことがある。信号待ちをして連なる車の赤いテールライト。横断歩道を渡る人の顔を照らす青白く光るスマートフォン。通り沿いに立ち並ぶ飲食店の明かりは、店内の騒々しさに反して穏やかなオレンジ色をしているのに、人の少ないコンビニはその存在をアピールするように、刺々しい白さで光っている。ふと見上げれば、夜空を縁取る高層ビルの窓に明かりが点々と灯っていて、たまにパッと消える瞬間を目撃したりもする。
 そんなとき、同じ街にも違う夜がいくつも存在しているのだなと思う。光の数だけ人がいて、そこに日々があるのだと気がつく。昼間は太陽の明るさのせいで消されてしまっているものが、夜の暗さのなかにふわっと浮かび上がってくる。

 sora tob sakanaの2ndシングル『ささやかな祝祭』に収録されている3曲も、それぞれ異なる夜の在りようを描いているように聴こえる。
 表題曲の「ささやかな祝祭」は、キーボードやトランペット、トロンボーン、コントラバスなどの音色が、踊るように跳ねるビッグバンド的な1曲。テレビアニメ「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているのだろうかⅡ」のエンディングテーマとしても用いられており、旅の終わりの「宴」をテーマにしているとのことで、談笑する声やグラスの音が聞こえてくる賑やかな酒場の様子が浮かんでくる。


 続く「乱反射の季節」では、エンジン音を思わせるようなうねるギターやベースが随所に聴こえてきて、夜の街を縦横に駆け抜ける車のハンドルを握っている気持ちになる。また、淡々と進行していくスティールパンの音色が、等間隔に並ぶ高速道路の照明を連想してしまう。曲がり角が多く選択肢がいくつもある道と交差点のない決められた道。その対比が、夜道を進むときの当て所なさを思わせる。


 ポエトリー・リーディングがアクセントになっている、最後を飾る「ブルー、イエロー、オレンジ、グリーン」。点描的なサウンドにのっかって一つずつ丁寧に紡がれていく言葉や遠く伸びる歌声は、星の音が聴こえてきそうな夜の静けさを思わせる。それと同時に、夜が終わる予感と暗がりにとり残された淀みのような存在がちらつく。「今日」を引き延ばして「明日」を先送りにしていた夜が終わり、朝がくる。何かが始まるような、もしかしたらもう始まっているかもしれないような。感傷と期待が渦巻く時間のはざまを歌っているように感じる。


 このように、一つのシングルのなかに違う景色を持った曲が並んでいる。3曲を通して聴くと、日が暮れて宴が始まり、やがて夜が更けて、徐々に朝が近づいていく気配を感じるような移ろいを感じる。非日常の時間が終わり、日常の生活がまたやってくる。通り過ぎていく時間の中で、変わっていくものと変わらないもの。そんな夜の旅を一緒にした感覚になる。
 また、3曲を繋ぐメンバーの歌声も、明るさや悲しさ、力強さ、繊細さをフレーズごとに身にまとっていて、表現の幅広さと声そのものの魅力に改めて気がつかされる。

 そして、異なる魅力をもった3曲のなかにも、共通しているように思うものがある。それは歌詞における「ささやかな」視線である。タイトルにも入っている「ささやかな祝祭」においては、「縮尺の違う地図」「違うリズム」といった差異によって「今日の音色」が響くのだと歌われる。「乱反射の季節」では、決められた道から「こぼれ落ちていく未来の軌道」によって「新しい地図」が描かれるのだと歌う。そして、「ブルー、イエロー、オレンジ、グリーン」では、「私の知っている美しいもの」として、日常の中のささやかな瞬間をいくつも掬い上げる。
 こうした「ささやかさ」は、私たちが暮らすこの街では見過ごされることが多い気がする。分よりも秒よりも儚い「一瞬」しかないと思うことだってある。新しいものが流れ込んできたかと思えば、次の瞬間には波が引くように消えていく。一つ一つがどんなものなのか、どんな影響を与えるのかといった価値判断は、ただのロスタイムにすぎないのかもしれない。その結果、この街を流れていくタイムラインは、欲望を上回る情報の更新が続き、時系列順に降り積もっていくのですらなく、気がついたら勝手に判断された関心度順に並び替えられているときもある。

 夜が終わって朝がきて、また次の夜がくる。そんな繰り返しのなかで生活している私たちにとって、日々をただやり過ごすのではなく、ささやかな視線を持つことが大切なのかもしれないと、sora tob sakanaの音楽を聴いて思ったりもする。
 それでも街の明かりはまた少しずつ灯っていくし、いろいろな角度から目でものを見ることができるのは、小さな凸凹に「乱反射」する光のおかげなのだから。

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