阪神大震災の朝のこと

現在41歳なので、震災当日は中学3年生でした。

小さいころから祖父が昔起こった南海地震のことを語っていました。

「大津橋(近所の汽水域の橋)のところで水が全て海に引いていってしまった。」

「空が雷のように光った」

小学校のときは理科少年で、どうしても地震のときに空が光るのが信用できず。本当に光るなら実際に見たいと思っていました。

普段から南海地震の話を聞かされていたので。地震など来ないという親戚のおじさんに「必ず地震は来るからちゃんと対策しておかなければいけない」と言って回っていたむずかしい小学生でした。

そんな理科少年も高校受験する年齢になっていたころに阪神大震災が起こりました。

震災当日、なぜか地震の少し前に目が覚めており。自宅は突然激しい揺れに見舞われました。

当時ノストラダムスも信じていましたから、大地震は必ず来る。何なら地割れに家が飲み込まれたあと高さ数十mの大津波が来るくらいのイメージを持っていました。(ファイナルファンタジーの影響もあるでしょうか)

揺れの中でびっくりしたのではなく、ついに来たか!というかんじで。大揺れするベッドの中から這い出して、窓の外を見ました。

そこで見たのはまさしく

「雷のように何回も何回もピカピカ光る空」

でした。

私の住んでいる鳴門市は、震度5強くらいだったのですが。古い木造住宅に住んでいた私の家は地震とともに「メシ!メシ!メシ!」っと木が割れるような音とともに大きく揺れました。

夢にまで見た震災の日の光る空の話をしても、誰も空を見ていた人はおらず。みんなあまり興味なさそうですが、今考えてもその日にしか見られない空をそのとき恐怖の中でベッドから這い出て見たというのはすごいことだなと思います。


余談ですが。

2011年の東日本大震災のときは31歳かそこらの工場の技術者でしたが。地震直後に工場棟の2Fに避難した際に。偉い人に

「2階では津波がきたらダメだ!もっと上の階で待機しましょう!」

「津波が来る前に川が引くから監視してください!」

などと叫ぶ、痛い大人に成長していました。


そして今日も、南海トラフ地震が来ると思いながら生活している日常なわけですが。

切にコロナ禍とは重なっては来てほしくないなと願っています。




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