見出し画像

どうやら日記中毒になったようです

昨日、抑えられない興奮のままにnoteを書いていた。

とにかく、この気持ちを分かりやすく、言語として自分の中に落とし込みたかった。そういう時に限っていい言葉が思いつかなくて悔しくなるわけだけど。


1週間くらい、noteを書いていなかった。友達の結婚式に参加するために遠出をして、そのまま友人と昼夜一緒に居続けていたら書いてなくて。それを皮切りに、家に戻ってきたあともnoteから離れていた。

実はその1週間、何をしていたかよく思い出せなかったりする。

映画もみた。友達とご飯を食べて、人間関係に想いを馳せたりもした。病院に行って、自分の今後の見通しを考えもした。急に趣味の小説に躍起になって、12時間ご飯も食べず(忘れていた)ぶっ続けで書き続けていた日もあった。

なのに、後になればなるほど、その日々が淡く思えてきた。

そんな状態に焦って観に行ったのが昨日のコンサートで。興奮気味に書いたから内容なんて本当に日記程度なのだけど、noteに自分の想いを綴っていたらやっと「一日を充実できた」と実感できた。


どんなに衝撃的な一日でも、考えさせられることが沢山あった一日でも、記憶にとどめたままにすると、日が経つごとにその繊細な想いがぼんやりとしてくる。ふと過去の自分を振り返った時、「私は今まで、何をしていたんだっけ」と思ってしまう。

無機質にしか見えなくなってしまった思い出の数々に、「充実してない無駄な時間を過ごしてしまったのではないか」と不安にさえなる。


べつにnoteじゃなくて、日記が書ければどんな媒体でもいいとは思うのだけど、私は人にみられる場で書くことにより簡潔な文を意識できるようになるからnoteを選んでいる。

いつの間にか、私は日々の言語化をしていないと満たされないようになっていた。それは一日一日を大切にしていたいからこそだ。


なんだか中毒みたいだ、と笑ってしまう。

でもこれで得られる幸福に副作用なんてないし。

心置きなく、心酔していようと思った。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?