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まい すとーりー(16)「書きたい」「読みたい」願いに応えた人たち

霊友会法友文庫点字図書館 館長 岩上義則
(『法友文庫だより』2018年春号から)



 今から30年前、視覚障がい者の世界に文化革命が起こった。自力で普通の文字(以下「墨字」)を読み書きできない悩みに終焉を告げる革命であった。晴眼者(目の正常な人)にとっては、文字の読み書きなど誰にでもできる平凡な能力だから「なあんだ、そんなことが革命?」と爆笑されそうな小事が、視覚障がい者には革命とまで言わしめる大事なのである。

自由な情報の扉が開くまで

 30年前までの視覚障がい者の読み書きはもっぱら代筆・代読に頼るか、せいぜい点字に仮名付けしてもらう以外に方法がなかった。それが、どれほど不自由で苦痛で、引け目を感じることかは、その身になった当事者にしか分からない悩みだ。
 例えば、手紙を書く、起案をするといった場面では、口術で伝えるにせよ点字で依頼するにせよ、まどろっこしいこと甚だしい。レイアウト、漢字の選択、句読点や記号の打ち所といった問題も、代筆者と相談しなければならない。また、読んでもらうには恥ずかしいものもあって遠慮しがちな場合もあるものだ。これは、引き受ける人にも重い負担を課していたはず。

 それが、パソコンと音声スクリーンリーダーを使うことで、そんな重苦しい世界から解放されて、自力で読み書きできる道が開けたのである。だから、今日では視覚障がい者がメールをするのも執筆するのも新聞を読むのも辞書を引くのもごく当たり前になった。また、視覚障がい者の多くがパソコンのスキルを身に付けたことによって趣味が増え、職業の範囲も拡大している。コンピューター将棋を楽しみ、事務系の業務に従事し、自著を出版し、エッセイを投稿するなどは、それほど珍しいことではなくなったのである。

 かく言う私自身も、もちろん墨字が読み書きできる幸せとありがたさをしみじみと実感している一人である。パソコンの高機能と活字情報があったからこそ、自分が関わる業務が広がったし、力も付いた。この考えに立てば、点字のリテラシーも貴重だが、それだけでは不十分である。墨字の読み書きを確かなものにして、はじめて自由な情報の扉が開くのではないかという気がする。

  私が墨字を書いた思い出の中に、40も半ばになって初めて母親に手紙を書いたことが残っている。

「お母さん、文明の力はすごいね。この手紙は、パソコンという機械で、おれ自身が書いてるんだよ。字が書けるって素晴らしいな。片目が開いた思いなんだ。うれしい」

 というような文面だったと記憶している。それに対して母親からは、
「おまえがこの手紙を自分で書いたなんて、そんなばかなことがあるもんか。お母さんには全く信じられない話だよ」という、実に冷やかな返信だった。母の気持ちは無理からぬこととしても、純粋なせがれの喜びと懸命な努力を認めて、たとえ信じがたいことであっても信じてほしい思いになったものだった。

視覚障がい者にとっての文化革命戦士たち

 さて、革命戦士となった人たちの話を紹介する。
 革命の端緒となったのは、盲学校の教師をしていた長谷川貞夫という人物の発想だった。長谷川は、生徒を引率して新聞社を見学したとき、新聞の印刷方式から自動点訳・自動代筆のヒントを得た。
 そして、昭和56年に富士通から発売されたパソコン・FM8を買い、それに点字の6点式入力を採用した漢字・仮名の出力方法を開発して組み込んだ。これが盲学校の教育研究大会で発表され、参加者に体験されると大フィーバーを呼んだ。
 やがて、その体験と感動が高知に飛び火して、強い関心を示した3人に燃え移って勢い付いた。
 3人の名は、有光勲(ありみついさお)、大田博志(おおたひろし)、北川紀幸(きたがわもとゆき)と言い、その3人のイニシャルを当てた視覚障がい者用AOKワープロの誕生につながることになった。

 長谷川が作った簡易ワープロは、漢字や仮名が書けるといっても、まだ音声確認ができないもので、文字が正しく書けているかどうかが分からない上に、自身で間違いの修正もできないものだった。
 ところが、高知システム開発を創業した大田博志が、昭和59 年にNECから8801シリーズのパソコンが発売されたのに合わせて、自社製の音声合成装置を作って一気に問題を解決した。
 文字の確認や修正ができるだけではない。いわゆる、カットアンドペーストの編集・印刷機能も付加したワープロを開発し、視覚障がい者が自力でパソコン操作も可能なものを発表したのである。そこから先は、ITの日進月歩の進展と、90年代からのインターネットの普及を背景に、視覚障がい者に有用なソフトを 次々に開発していった。  

1984年当時のパンフレット


漢字習得への道を拓いた高知システム開発

 今、私の毎日は、晴眼者(目が見える人)と同様に、新聞に目を通す(耳を傾ける)ことが日課の一つになっている。帰宅して、何をおいても、まず検索するのがプロ野球の情報である。本誌を編集中のこの時期はオープン戦たけなわの頃か。王者ソフトバンクは今年も好調のようだが、大谷が去って戦力ダウンが気になる日本ハムの調子はどうか。大注目の清宮幸太郎の成長ぶりは?

 注目の話題に私の関心はかぎりなく移り気だ。働き方改革、芸能人のスキャンダル、きな臭い中東や北朝鮮情勢等々。それらを楽しんだ後、これはと思うニュースを保存ボックスに格納して新聞を閉じる。

 「昭和歌謡」の人気が急上昇だとか。インターネットにはYouTubeという動画サイトがあり、これを見ずには(聞かずには)寝つけない。私は演歌が好きだから、どうしてもそっちに偏りがちだ。
 山内恵介の曲は、自分が歌うカラオケのレパートリーに加えるためにもぜひ覚えねばならない。「リピートのショートカットはどれだっけなあ…」。100以上もあるキーの上を目まぐるしく指が走る。魅惑に満ちた最新作にも耳をすます。検索ソフトの「Net Reader」は手放せない必需品になってしまった。

 ところで、読書をするにも文書作成をするにも必須の知識は墨字の知識だが、これが視覚障がい者には大変な重荷になってのしかかる。仮名遣いもそうだが、何と言っても辛いのは漢字である。同音異義の理解は言うに及ばず、漢字の組み合わせがやっかいだ。「図書館」ってどんな漢字を使うのか、「青天の霹靂」ってどう書くの?…。

 点字の世界に生きていると、何気なく通り過ぎてしまう漢字の表記が1字1句おろそかにできなくなるので、簡単には作文が前へ進まない。字形を覚えるのは無理にしても、読みと意味は死にもの狂いの頑張りが必要になる。頑張りを応援してくれるものに、スクリーンリーダーに標準装備されている読み辞書がある。「へきれき」と入力して変換モードをたどると、「青天の霹靂の霹[はげしい]」、「青天の霹靂の靂[かみなり]」というふうに候補文字を読み上げるので選択が楽にできる。
 それでも、読みが漢語であったり和語であったり、同音が複数あるのでなま易しいことではない。しかし日本語は漢字文化なので、漢字の知識と理解なしには正しい日本語の読み書きが不可能と言っても過言ではない。しかも、視覚障がい者の多くが学ぶ盲学校の教科に漢方医学がある。これは専門用語ばかりなので、常用漢字よりも日常見かけない漢字の使用が頻出するのでなおさらやっかいになる。
 経絡・経穴はその最たるもので、常用漢字で書かれた「丹田(たんでん)」「巨(こりょう)」「下関(げかん)」「頭維(ずい)」などのツボをお経を読むように覚えても、その意味や由来を理解するには漢字が分からなければ十分とは言えない。

  高知システム開発がワープロを開発したことは、視覚障がい者に漢字習得が不可避なことを認識させただけでなく、漢字教育が行われてこなかった盲学校に、漢字教育の導入を示唆することにもなり、教育革命にもつながったと言えるであろう。

 その高知システム開発が今年設立30年を迎え、記念誌を発行することになった。そして、日本点字図書館 職員時代からの縁があったからか、思いがけなくも、記念誌の編集長に私が就任する名誉をいただいた。そこで、まだ草案の段階にあるものながら、編集後記を掲載してこの項の終わりにしたい。

 

高知システム開発30周年記念誌に寄せて

 小規模な1企業である高知システム開発が、いかに視覚障がい者に有用なソフトを開発したからと言って、その歴史と業績が、このように万人から称賛されるのは希有なことである。設立30年の記念誌に執筆した7人から6回の「感動」、9回の「感謝」、2回の「革命」の言葉が発せられたことの意味を考えてみた。

 視覚障がい者の2大不自由は、歩行と文字の読み書きである。
 
歩行は、同行援護の面で改善されているとは言え、自力歩行となると、GPSを介したスマホのナビゲーションに期待がかけられているものの、未だ目立った成果が見えてこない。それに対して墨字の読み書きは、ここ30年で大変革を遂げた。手書きの分野は未解決に近いが、活字の読み書きに関しては、高知システム開発の貢献が大きく後押しした。「書きたい」「読みたい」願いの実現は、まさしく革命であり感動なのである。

 視覚障がい者が墨字を読み書きする可能性を持ったとは言え、早期盲の場合、墨字の概念、なかんずく漢字の知識を持たない者が圧倒的に多い。「今年(ことし)」「田舎(いなか)」「上着(うわぎ)」等々をどんな漢字を使って書くのかが容易に分からない。音声の出力があるとは言え、漢字を選ぶのはユーザーであってワープロではない。盲学校では点字の使用がもっぱらで、漢字教育はなかった。必要ないとさえ考える先生もいたであろう。ワープロが使えるようになったことで、教材作りも盛んになり、利用者の中からテキストを製作する人さえ現れた。点訳活動でも、漢字資料の点訳を始めるサークルが生まれた。そのような動きを受けて、盲学校にも徐々に変化が見られ、漢字教育が模索されはじめた。元横浜市立盲学校の道村静江(みちむら しずえ)さんのように、「点字学習を支援する会」を立ち上げて、小学1年生からの、段階を追った漢字資料を作って提供する積極的な教育者も現れた。

 また、『点字毎日』では漢字シリーズを連載したほか、昭和57年の創刊60周年に当たって『盲人のための漢字学習事典』を発行して漢字の学習を支援した。

 視覚障がい者と墨字の学習は、今なお順調に進んでいるとは思えないが、視覚障がい者が墨字と無縁ですごせない時代になったことは間違いない。

 AOKの生みの親の1人である有光勲氏が、「この点字ワープロができた頃、一般社会にはまだパソコン用ワープロ・ソフトは発売されていなかったので、視覚障がい者用ワープロが1歩先んじてスタートしたことになる。このようなケースは大変に珍しいのではないだろうか」と言っている。まったくその通りであり、これに関わった高知システム開発は、それ故に視覚障がい者に対する絶大な支援者なのである。高知システム開発30年の業績に深い敬意を表わすとともに、ますます有用なソフトの開発に尽力していただきたいと心から願う者である。


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